※令和5年7月1日 第46回大平サロンコンサート開催
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コロナが第5類になったとのことで、もういいよね、とついに開催いたしました。
詳しい様子は、大平サロンコンサートのページをご覧下さいね。
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※令和5年7月29日 友人S君を偲ぶ会
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7月24日、中学、高校と共に時を過ごした同級生が亡くなったとの知らせが届きました。
彼とは卒業以来疎遠ではありましたが、彼の声がけで、令和元年11月に久方ぶりに中学の同窓会が開かれました。これからはチョコチョコ会えて旧交を温めることができると思っていたのに、とても残念です。
彼との思い出は沢山あります。特に鮮明なのは、同じクラスとなった高校2年の時かな。一緒に体育祭、文化祭を盛り上げたことや、国鉄のストライキ等で何度も延期され、結局3月の期末テスト直前に行った修学旅行のことかな。
関門トンネルの福岡山口の県境で撮った写真を私のホームページに掲載してますが、私の隣でサングラスをかけて笑っているのが彼です。
学校帰りにキオスクで買ったあんパンを分け合ったこと。エスカ地下街で初めて食べたハンバーガーや今は無い新幹線地下の食堂街で並んで食った、とんちゃん入りのカレーライス。なんか胃袋で覚えている気がするけど、全てが愛しい思い出です。
で、29日にK君の声がけで、偲ぶ会が梅ちゃんの店で開かれました。この写真には写っていませんけど、ちゃんとS君の分のビールもお供えして、みんなのそれぞれの記憶に鮮明に残っている思い出話をしながらの会でありました。彼もきっと一緒に呑んでくれたんだと思います。
いずれみんなそっちの世界に行くことになるから、そしたらまた、愉快に呑もうね。合掌
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※令和5年9月29日 友、再び遠方より来たる
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昨年に引き続き、約1年ぶりに、またまた友が遠方より会いに来てくれました。
ありがたいことですねぇ。上位官庁の彼と一緒に仕事をしたのは、もう遙か昔のこととなりました。それでも変わらぬ友情に感謝感謝であります。
互いの近況を時間いっぱい、くっちゃべりましたよ。
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※令和5年10月1日 お袋さんの介護度が変更
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1年前に要支援1に認定され、デイサービスに週2回通ってきました。
介護認定は1年ごとにチェックが入るらしく、今回再チェックを受けました。昨年は市の方から係の人が来られましたが、今回は、この業務を委託された業者の方が訪問されました。何でも委託されたのは今年が初めてとのことで、しっかりやらないと来年は委託されなくなるかも、なんて言ってました。昨年と同様に色々と問診をし、私からも色々とお話をしました。
そして後日届いた結果は、要介護1に変更となりました。支援から介護に変わると、地域包括支援センターから正式にケアマネジャーが派遣され、介護計画を立てることとなります。お袋さんの状態は昨年と特に変わったわけではありませんが、介護に変わると点数が上がるので、使えるサービスが増やすことができます。というわけで、週3回、せっかくお風呂がある所に通っているので、1回は風呂に入ってくるとことになりました。
後から知り合いに聞いた話ですが、今はなかなか介護度を上げてはくれないとのこと。介護を必要とする人が沢山いるからねぇ。
要介護になるとケアマネジャーさんが月に一度様子を見に来ることになっています。とても気さくな方でありまして、色々相談に乗ってくれます。
12月に我が家でサロンコンサートを開催するにあたり、ショートステイさせたいと希望したら、なんとか空いているところを探してくれました。そして、どんな人が集まるか興味津々で、私の演奏も聴きたそうにするので、1曲ご披露しましたよ(^_^;
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※令和5年10月5日 これで最後?コロナワクチン7回目
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無料で接種できるのはこれが最後ということで、おふくろさんと一緒に接種してきました。
有料になったらインフルエンザはやっても、コロナは接種はしないかなぁ。でも予防に対する心構えは必要ですね。
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※令和5年10月9日 第10回東海学シンポジウム出席のついでに、城山八幡宮(末森城址)を見学
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東海学シンポジウムが、春日井シンポジウムと呼ばれていた時代から毎年聞きに行ってましたが、昨年はお袋さんの体調が悪かったため欠席でありました。というわけで、1年ぶりの参加です。今回のテーマは「食に学ぶ」。第1回にも登壇された、あの小泉武夫先生の講義も久しぶりに聴くことができました。朝から夕方まで、久しぶりにアカデミックな1日を過ごしました。そして。。。。 |
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会場である愛知学院110周年記念講堂の隣は、城山八幡宮でありまして、そこは。。。。 |
末森城址となっております。
今回は天気が良かったので、昼休みに歩き回ってきました。
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ほら立派な石碑もあります。
空堀もかなりハッキリと残っています。 |
この案内図ではよくわからないでしょうが、かなり広大な敷地に様々施設が集まっています。
地下鉄の本山駅から歩いて数分の場所。
本山といえば、私が大学の頃、教養部時代に降り立っていた駅です。
こんな所にこんなモノがあるなんて、全く知りませんでした。 |
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こんなレトロチックな建物もあります。 |
旧昭和塾堂と看板が立っております。
現地には詳しい説明はありませんでした。ネットで調べるとかなり詳しい解説がヒットしますが、少々難しいので、興味がある方はご自分で調べてみてください。 |
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これは、昭和塾堂の前にある養心殿(武道場)であります。
ここは今も使われているようでした。
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※令和6年3月21日 お袋さん救急車で搬送
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週に3回デイサービスに通わせ、週に一度は買い物と外食に連れ出していましたが、家にいるときは24時間中20時間くらい寝転がっていました。食事はお袋さんの好きそうな物を作って、叩き起こして食わせましたが、面倒くさがってあんまり食べません。でも、トイレには自分で歩いて行き、風呂も自分で入ってました。
そんな3月20日、トイレに行く途中で滑ったんだか躓いたんだか、つまり転びました。とても痛がってましたが、這いつくばってトイレには自分で行きました。1日様子を見るかということになりましたが、次の日も立ち上がれなかったので、嫌がってはいましたが救急車を呼びました。
私も救急車に初めて乗りました。乗り心地はお世辞にも良いとは言えません。車は揺れる揺れる!振動がすごい。お袋さんは揺れる度にイテッと叫んでました。
そして市民病院の緊急外来で検査。その結果、左大腿骨頸部骨折。整形外科の先生がみえて、治療の基本は手術して歩けるようにすることが目標とのこと。今年94歳でも大丈夫ですか?と聞くと、ウチの病院ではその手術の平均年齢は80才以上とのこと。そりゃまぁ、その部分の骨折の多くは年寄りがするでしょうからねぇ。
というわけで、その日にそのまま市民病院に入院、次の日手術をしました。そこには2週間ほど入院して、その後リハビリ病院に転院するとのこと。お袋さん自身は、イマイチ入院していることを自覚していないようですけどね。
急いで入院準備するのは大変でしたし、またケアマネさんやデイケア先の施設、かかりつけ医等、様々なところに連絡するのも大変ではありました。しかし、毎日面会に行くのは面倒とはいえ、やれ朝が来た、メシができた、風呂に入れ、運動しなさい、と言っても、ちっとも言うことを聞かないお袋さんにイライラしながら世話することから解放されて、私自身は現在少々穏やかな気持ちであります。食事も自分の好きなものを作れますしね。とは言え、たぶん帰ってきてからが大変だろうなぁ。
きっとリハビリはキツイでしょうねぇ。多少でも歩けるようにならないと帰れないぞと言ってますけど、まぁこれまでこっちの言うことをちっとも聞いてこなかったせいですな。自業自得でしょう。
それにしても、長生きすると90超えても、初体験というのはあるんですねぇ。
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※令和6年4月2日 お袋さん転院
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転院先は私も通院しているT病院に決まり、本日転院でありました。まだ歩けないのにどうするの?と聞くと介護タクシーを予約しましたとのこと。料金はその場で現金でするようにと言われました。タクシーは双方の病院の玄関から玄関まで車椅子で運んでくれました。市民病院からT病院まで6千円でしたが、運転手さんと話をしたら、個人経営であるとのこと。またお世話になるかもねぇ。
さて今度の病院は、リハビリをして回復を目指すというものです。私も腰椎変性すべり症の時お世話になった体育館のような広いスペースで、作業療法1時間、理学療法1時間、行うことになります。つまりお袋さんにとっては、家で暮らしたいたように寝てばかりはいられないと言うことですな。
我が家からは近いので、毎日面会に行っています。今はコロナのこともあって、面会時間は15分と決められています。洗濯物をとりにいったり、どうせメシも面倒がって満足に食ってないだろうからと、アイソカルゼリーやら果物なんかも差し入れています。
とりあえず60日間とのことらしいですが、どうなりますかねぇ。
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※令和6年4月30日 枚方から甥っ子達が面会に来た
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枚方に住む、私の元看護婦の妹と、理学療法士の甥っ子、薬剤師の姪っ子が面会にやって来ました。
事前に病院には面会メンバーの職業も連絡してあったので、お袋さんのリハビリ時間を調整してくれて、担当の理学療法士と作業療法士が、それぞれ色々と説明してくれました。甥っ子からは専門的な質問もしてくれましたよ。お袋さん自身は、相変わらずでしたけどねぇ。
ところで不思議なのは、同室に入院しているお婆ちゃん(お袋さんよりはずっと若いけど)が、いつも家に帰りたい〜と叫んでいるのに、ウチのお袋さんの口からは一度も出ないんだなぁ。我慢しているのか、よっぽどココの居心地が良いのか?
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※令和6年5月9日 座敷のサッシ取り替え工事開始
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我が家で1番大きな窓である座敷のサッシの取り替え工事が始まりました。これはお袋さんの転倒とは関係なく、もうずいぶん前から開けづらくなっていた箇所です。この部分は以前のリフォームでも触っておらず、50年程前の建設当時のそのままでした。冬の間は窓を開けることもなかったのですが、今年元旦の地震の影響とは思えませんが、完全に開くことができなくなったので、懇意にしているリフォーム会社にお願いしたところです。
サッシの上の部分がたるんで下がってきているので、少々幅を狭めましたが、硝子そのものを大きくしたので違和感はありません。そして、新しく入った二重硝子はとても透明感が強く、他の窓の汚さが強調されるようになりました。窓拭きしてないからなぁ。
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※令和6年5月21日 家屋調査
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今後のリハビリ方針を検討するために行われました。
病院からオフクロ本人、理学療法士と作業療法士、車椅子やら歩行器等を我が愛車に乗せて我が家へ。家の前では、ケアマネさんと福祉用具相談員さんが待機しているという、かなり大がかりなものでありました。
先日病院内で市の介護認定の変更チェックの結果、要介護3となったお袋さんは、歩くのもやっとのヘロヘロ状態でありました。リハビリも嫌がってあまり一生懸命やらず、ご飯も食べるのが面倒くさいようでした。おそらく体力そのものが低下しているのですね。毎日、午前と午後1時間ほどリハビリしているとはいえ、それ以外は寝っ転がっているので、体を起こすと血圧が下がる、また夜中に何度もトイレにいきたがる、ということで、このまま自宅介護では、息子さん(わたしのことです)が参ってしまうよということになり、苦渋の決断ですが、リハビリ病院を退院したら特別養護老人ホームに移ることになりました。
これまでいずれ戻ってくると思って、毎日面会に行って果物やゼリーを差し入れし、家を掃除し庭の草取りをし、リフォームしたデカイ窓のところにベットを置いて、なんて考えてきましたが、なんだかねぇ、気が抜けてしまいました。
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※令和6年6月24日 特別養護老人ホームに入所
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本日、某特別養護老人ホームに入所しました。リハビリ病院には、限度90日近く置いてもらうことができ、また、待機期間なしで直接老人ホームに移ることができました。
リハビリ病院は、標準である60日以上の入院となると、リハビリ病院としての評価点が下がるということは、理学療法士の甥っ子から聞いておりました。そのため、そのことは重々承知してますが、なるべく長くリハビリを実施してくださいと病院の方にお願いしていたところです。限度日数終了後特養に空きがなかった場合は、ショートステイにロングスティとなるところでありました。そんな中、地域包括支援センターのケアマネさんのご尽力により、すんなり待機期間無しで特養に移ることができました。ホームに入院すると、ホームのケアマネさんが担当しますが、まえのケアマネさんには今でもLINEで愚痴を聞いてもらってます。
入所に必要な衣類や衣装ケースなどは、入所日が雨天だと困るので事前に運び込みましたが、その時は、どこのどんな部屋に入室するのかは、まったくわかりませんでした。事前に見学はしましたし、説明は聞いてはいましたけどね。
ところで、今度は洗濯等はホームでやってくれます。でも、すべてに名前を書けとの指示で、ネットでアイロンを使ってくっつけるラベルを購入しました。私は何十年かぶりで久しぶりにアイロンを使いました。お袋さんもずっと使ってなかったので、押し入れの中で埃まみれになっていましたが、ちゃんと使えました。何度が家で洗濯してみましたけど、剥がれることはありません。今は便利なものがあるんですねぇ。
お袋さんが入所した老人ホームは、我が家から一番近い所で、今後も毎日顔を見に行っても苦にはならない距離であります。ケアハウスやショートステイ、デイサービスも併設し、特養の収容人数は100人越という、かなり巨大な施設です。でも老人ホームは、ただ暮らすだけですから、私が面会時に簡単な運動をさせようかなと思っていました。
ところがなんと、お袋さんが入所するユニット内(ここの施設は、何室かの個室でユニットを形成)でコロナ感染者が発生し、28日までは面会ができないとのこと。そのため、入室の説明やら身体状況の検査などを一緒にやった後、お袋さんは係の人と一緒に部屋へ行き、私は残って契約手続きをいたしました。
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※令和6年6月29日 お袋さんと初めての面会
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コロナが解除され、久しぶりにお袋さんの顔を見ましたが、別段、特別な反応はありませんでした。
部屋は、妹が通っていた高校のグランドが見える部屋でありました。結構広い個室で、介護人さん達も明るくとても親切な方々ばかりです。とは言え、ココが終の棲家と思うと寂しいものがありますね。
ただ病院と違って面会時間は1時間あります。せいぜい毎日面会に行って、リハビリ病院の理学療法士さんに聞いてきた運動をさせて、月に一度ぐらいは、外出許可をとって家で過ごさせてやろうと考えています。理学療法士さんが使っていた血圧計も購入しましたしね。我が家にある血圧計の中では一番高価なものです。
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※令和6年7月17日 お袋さん、眠剤を服用しだす
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お袋さんが入所しているS特別養護老人ホームのベットは様々な機能があります。起き上がりのセンサーは勿論のこと、寝転がっていても、起きているのか熟睡しているのかを記録することができ、すべての介護人さんがそのデータをiPadで共有しています。
それによると、夜間何度も何度もトイレにいきたがり、しっかり眠っていないとのこと。マズイのは自分でトイレに行こうとするので、危なくて仕方がない。トイレをすること自体には、大した介助はいらなくとも、見守りは必要です。眠っていないからトイレに行きたがるのか、トイレに行きたくなるので眠れないのか?介護人さん達は、昼間手を替え品を替え、起きているようにはしていてくれますが、なかなか。。。
そんなワケで、主治医の往診の結果、眠剤を服用することになりました。次の日聞いてみると夜のトイレ回数が、半分近く減ったとのこと。しばらくはこれで様子見ということになりました。
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※令和6年7月23日 お袋さん半日外出
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お袋さんを自宅に迎えるためには、介護ベッドやトイレの手すりを設置する必要があります。でも、介護施設に入所しているため、介護保険は使えません。それで例の愚痴を聞いてもらっているケアマネさんに色々相談し、介護ベッドは月極レンタルすることになりました。感謝感謝であります。
ホームでは、幅の狭い車椅子を貸してくださいました。我が家までの移動は介護タクシーを頼みましたが、門から何段もある階段を1人で車椅子を使って登ったり下ったりする技には、大変驚きました。
大阪から元看護婦の妹も駆けつけてくれましたよ。
ホームにおける極細食の食事の写真も事前に見せてもらってましたが、あまり食べてくれないとのことでした。それでも好物の寿司なら食べるかなと出前を注文しました。どうせ食欲がないだろうからと、二人前しか注文しなかったのですが、結構5〜6貫くらい食べ、オマケに付いてきた冷やしうどんも食していました。すっかり目論見が外れ、私の分がなくなってしまいましたよ。
この外出にあわせて、長年お世話になってきたF診療所の先生に顔を見に来てくださいとお願いしてまして、往診してもらいました。勿論、投薬などはホームと提携している病院で行われていますので、診察というより顔見せというところです。元気がなかったら、点滴ぐらいはしようかと来られたようですが、思ったよりずっと元気そうだと安心しておられました。足のむくみを気にしておられまして、マッサージの仕方を教えてもらいました。
そんなわけで、我が家には10時頃〜3時半頃まで滞在しました。1ヶ月に一度ぐらいは、刺激を与えるために今後も計画するつもりです。
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※令和6年8月9日 お婆ちゃんに孫一同が揃って面会
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妹の子供達です。一同がうち揃ってお袋さん、彼らにとってはお婆ちゃんの面会に来てくれました。みんな社会人ですし、長男は既に結婚。長女ももうすぐであり、次男も家を離れていますので、彼らが揃うのも久しぶりとのこと。長男は理学療法士なので、チョコッと体の具合も見てもらいました。
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※令和6年8月30日 特別養護老人ホームの夏まつりでありました
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ホームでは、単調な毎日に変化を与えるためか、様々な行事が催されています。この夏まつりもその一つ。コロナがまん延する前は、野外で盆踊りも催していたそうな。
今回は、ロビーや会議室などで屋台が出るとのこと。沢山の人がホームで暮らしているので、各フロアー毎に時間を区切ってフロアーに降りてくるというスタイルでした。予約制ですが家族も参加してよいとのことで、私も行って参りました。 |
射的等のゲーム他、綿菓子やたこ焼きなどの屋台も出ており、みんな無料。作ってくれたのは、職員の方や学生のボランティアの方々でした。
食するのは、自分の階のフロアーに戻ってからとのこと。お袋さんはゴチャゴチャしたところは気に入らなかったようで、何もいらないと言いながら、たこ焼きやかき氷をもらってフロアーの戻ってきたら、旨そうに食べておりました。
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※令和6年9月13日 お袋さん、二度目の半日外出
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この日は、抹茶も出しました。もともと御茶好きでしたからね。
庭を見ながら満足げであります。
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※令和6年9月21日 N大学フォルクローレ同好会プライベート二次会
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私は大学時代にフォルクローレ同好会という所に所属していました。詳しくは、この「おいたち」の学生時代を参照してください。で、この日、50周年イベントが開催されたのですが、参加申込をする時期には、お袋さんの状況がどうなっているか不明だったので、不参加としていました。
しかし、夜に二次会を別に設けるという連絡が来て、嬉々として出かけて参りました。
お目にかかるのは卒業以来という方もいて、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。
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※令和6年10月17日 ホームでは運動会があったそうな
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ホームでは午前中運動会があったそうです。
それで、廊下でパン食い競争をしたそうな。そんなことできるのかと聞き返したら、紐を引っ張るだけだそうな。
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で、沢山取ったのでメダルをもらったとのこと。ホンマカイナ?
一緒に写っているのは、職員の方です。 |
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※令和6年10月23日 お袋さん、三度目の外出
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我が家で昼食を食べさせてます。最近の定番は、寿司と鰻重です。勿論すべて食べるわけではありませんし、すぐ自分で箸を使うのをやめてしまいます。その後は、食べさせてもらうのを口を開けて待ってます。
でも、アラレやら細かく切った果物なんかは、自分でつまんで食べてます。今回も長年かかりつけ医であったF診療所の先生の往診を頼みました。ま、刺激を与える為の単なる顔見せですけどね。
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※令和6年11月4日第11回東海学シンポジウムに行ってきました
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昨年に引き続き、足を運びました。たまにはこんなアカデミックな1日も良いものですよね。
昼休みには、会場のお隣にある城山八幡宮を歩き回ってきました。そこは末森城址です。その風景は、昨年のシンポジウムの時に紹介してあります。
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※令和6年11月11日 お袋さん、四度目の半日外出 弟さん達大集合
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今日は、お袋さんの弟さん二人とその奥さまが来て下さいました。私の妹以外は、皆さん勿論高齢者です。でも、お袋さんの姉様も100歳で、元気に他のホームで暮らしています。歩行器で歩き回っているとか。うちのお袋さんより、ずっと元気みたいです。
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※令和6年11月15日 ホームでは解体ショーがあったそうな
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包丁を握ったのは解体ができるホームの調理人の方で6匹解体したそうな。勿論入所者は見学ができたわけでしたが、お袋さんは寝ていたろうねぇ。昼食に提供されたようですが、お袋さんは食べた?と聞いても判然としませんでした。
今日面会に行ったら、栄養士の方がわざわざ写真撮ります?と、部屋まで持ってきてくれました。
解体ショーは、初めての試みだったそうな。先日は、共有スペースで調理人の方が目の前で焼きそばを作ってくれて、熱々が供されたそうな。様々な行事をしてくれています。有り難いことです。
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※令和6年12月4日 お袋さん、五度目の半日外出
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ホームの看護師さんの話によると、最近、意識障害をよく起こすとのこと。すぐ元に戻りますが、とのことでした。
今回、長年のかかりつけ医も顔をみせてくれました。心電図や心音も見てもらいましたが、多分脱水かな、食事をしたり、寝た状態から起き上がると血流が頭にいかなくなるのが原因かもとのことでした。
写真は、プリンを食べているところ。
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だいぶ衰えてきたお袋さんですが、久しぶりだけど流石に娘のことはわかったようです。
これは妹に爪を切ってもらっているところです。
我が妹も60歳を超えました。まぁ、私も65歳ですからね。歳をとったものです。
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※令和6年12月5日 今年の正月盆栽
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今年も稲沢にあります「愛知県植木センター」まで行って、正月盆栽講座に参加してきました。
毎年恒例の事ですので、ここに記述するほどのことではありません。しかし今回、初めてのことがあったのです。
講師の先生は最高の作品を持って帰ってもらうため、チェックの巡回をしながら大抵は全て分解され、全面改定されるのが常でありました。
実は植木センターは私の最後の職場でした。OBもおりますし、顔見知りの職員も残っています。それで、何回目の参加?と聞かれて数えてみたら、14回目でありました。職員の頃からですからね。ありゃぁ、そんなにやってるんだぁ、と思っていたら、なんと講師の先生からは、まったく修正されず、福寿草が隠れて見えないねとの指摘を受けただけで、それをなおされただけでした。ま、この写真でも何処にあるかわかりませんけど、きっと黄色い花が咲けば、顔が見えるようになるでしょう。長年やっていると、なんとなく形になるもんですねぇ。
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※令和7年1月8日 巳年最初の半日外出
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今年最初のお袋さん、半日外出の日でした。枚方から妹も駆けつけてくれました。
写真は、私が初詣で頂いてきた破魔矢を持たせてパチリ。
注連縄は片付けましたが、部屋の中の正月飾りはそのままにして、お袋さんに見せました。
最近午前中はよい天気ですが、午後になると曇ってきますよね。今日も帰る段になって雨がパラつき、雪も舞い出しました。初雪かな?
近頃は、とんと自分から話をすることはなくなったお袋さんですが、お迎えの介護タクシーを待っているとき、空を見て「変な天気だねぇ。」と突然しゃべりました。思わず顔を覗き込んでしまいましたよ。少しベッドで昼寝して気分がよかったのかな
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※令和7年2月5日 天気が心配でしたが、無事お袋さんは半日外出が出来ました
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全国的に大雪で、どうなることかと思いましたが、予定通り、お袋さんは我が家で半日過ごすことが出来ました。
枚方から駆けつけた妹も新幹線はダイヤ通りで、いつもより空いていたとのこと。
昼飯前にまず、プリンを一つ食べました。
また、今回は、鰻重とお寿司以外に、買い求めてきたレトルトの介護食をいくつか準備しました。 鰻はやはり好物なようで、鰻重にのっていた半分を、妹に皮をはずしてもらって全部食べてしまいました。
今日はよく食べ、トイレも2回行って、よく出しました。
F診療所の先生の往診の際には、心電図も取ってもらいました。ちょっと脈が飛ぶけど、心配するほどのことはないとのこと。ただ貧血があるらしいんだよね。来月も半日外出できるといいですね。
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※令和7年2月7日 お袋さん、救急車で緊急搬送
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いつものとおり今日もホームに面会に行きました。特に変わったところはなかったように思います。
その夕方6時前、そろそろ夕飯に支度でもしようかと思っていたところに、ホームより電話がありました。熱が出て苦しそう、少々様子がおかしいので、救急車を呼ぶことにしたという知らせでした。酒を飲む前でホントに良かったです。
搬送先は駅近くのT病院。私も急いでクルマで向かいました。
そうしたらT病院の緊急外来は、超満員で、医師も看護師もとても忙しそうに働いておりました。
ホームから救急車に同乗してくださってきた看護師さんと待っていたのですが、なかなか呼ばれない。
やっと、呼ばれて医師に事前説明をして、同行してくださった看護師さんには帰って頂きました。
それからも色々検査をしているようで、なかなか呼ばれない。他の患者さんの家族も大勢おられましたが、中には癇癪を起こしている人もいました。でも、病院側はとても一生懸命動き回っていました。
また意外に時間外診療を受診しに来る人が多いのにもびっくりしました。私は本を持ってこなかったことをとても悔やみましたよ。
やっと呼ばれたのが、午後9時過ぎでした。
CT画像を見ながら下った診断は、誤嚥性肺炎、そして貧血。通常は2週間くらい入院とのこと。でも高齢なのでどうなるかはわからないとのこと。いざというときは、延命措置は行わなくて結構ですと言いました。これはお袋さんが元気だったときからの希望でありました。苦しいだけでしょうからね。ただホームは引き払わず、そのままにしておいた方が良いかなと思いました。
それから、どこの病棟に入院するか、病棟の方で検討しているので、もう少し待ってくださいと言われました。救急車で搬送されてすぐ検査に回ってしまいましたので、私はお袋さんの顔を見てません。顔を見に行ってもいい?と看護師さんに聞くと、いいですよ。と言われましたので見に行きました。
酸素吸入器をかぶせられ、顔が真っ白でした。でも起きていて目が合いました。
そして病棟に上がったのは、なんと11時50分でありました。病棟の看護師さんに説明を受け、入院手続きの書類を作成しました。
我が家に戻ってきたのは、日付変更線を超えておりました。その時は雪が積もってなくてホントよかったです。
入院時には、ホームの方で服用している薬を持ってこなければなりません。また、救急車で搬送されたときは靴を履いてませんでしたので、靴も取ってくる等、諸々のものをホームから持ってくる必要があります。
現在T病院は、面会禁止となっています。2週間も顔をあわせないと、私のことなんかわからなくなってしまうかもしれませんね。寂しいですよねぇ。ただ写真は飾ることが出来るとのこと。3日に1度くらいは洗濯物を取りに行く必要があるので、その時に私と妹と孫たちの写真を届けようと考えているところです。
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※令和7年2月23日お袋さんが天国へ旅立ちました。
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夕食を食べ、風呂に入り、固定電話と携帯電話を脇に置いて、エレクトーンの練習をしていたときでした。病院から電話が入り、お袋さんが急変し、現在心肺停止状態になったとのこと。取り急ぎ病院に駆けつけました。
当時病院は面会禁止でありました。病状については、洗濯物を取りに行ったとき看護師さんに聞いたり、担当医から電話で聞いてはおりました。医師には一度対面で病状を聞きたいとお願いしたところ、2月20日に対面で説明してくれました。その時は、肺炎の方は良くなったが、貧血は続いている。なかなか食事が喉をとおらないようだ。来週再度血液検査をした後、退院できるかどうかを考えるとのことでした。会っていかれますか?と聞くので、15分を目処に面会しました。その時に久しぶりに顔を見たのですが、明らかに頬がこけた感じでした。言葉は発してくれませんでしたが、手を握ったり、笑ってというと微笑んだりしてくれました。そして、んじゃ帰るねというと、手を振ってくれましたが、なぜかとても安心したような表情をしてくれました。
これでもういいやと気力を抜いてしまったのかな?
死亡時刻は午後10時58分。まだ体には温もりがありました。元気な時も、額に皺を寄せて眠っていることが多かったのですが、ベッドの顔は、ウソのように穏やかな顔でありました。
実は、一週間ほど前に、これは危ないかもなと病院近くの葬祭場に相談に行っておりました。そこに電話をかけると2時間位したらお迎えにあがりますとのこと。そして、身長と体重を聞かれました。身長は157センチくらい、体重は〜ホームにいたころは35キロぐらいだったけどと言いながら傍らにまだおられた医師を振り向くと、27キロです、と言われました。食事がとれてなかったんだねぇ。
今頃、オヤジから、ずいぶん長いこと待ったぞ、なんて言われているかもね |
※令和7年2月26日お袋さんの葬儀
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24日には菩提寺から枕教をあげに来てくれました。その最中に我が妹は、枚方から駆けつけてくれました。彼女はその日から2泊3日で葬儀の次の日まで我が家に逗留してくれました。
25日のお通夜の前、午前中に湯灌というものをしてもらいました。こんなのはオヤジの時はなかったなぁと呟くと、長生きしたご褒美だねと言われました。湯灌は、座敷に寝たまま洗える湯船のようなものを持ち込み、バスタオルのようなものを体にかけ、その下で体を洗い、髪も洗ってもらいました。入院してから風呂にも入ってなかったでしょうから、なにか見た目にもスッキリしたように見えましたよ。
通夜の夜は、葬儀場の立派な部屋で妹と二人、枕を並べて眠りました。 |
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オヤジの時の葬儀は自宅で行いましたが、今回は葬祭場で執り行う家族葬です。
写真は、会場入り口に飾られた思い出の写真です。
これらは大好物であった「蕎麦かりんとう」とともに、お棺の中にいれました。 |
家族葬でありますからと、色々ある祭壇の中から選びましたが、結構豪華な祭壇になりました。
白い花が好きだったお袋さんには、ピッタリでありました。
我が家は禅宗で曹洞宗であります。
家族葬と言うこともあり、片八で葬儀を行いました。僧侶は4人です。
曹洞宗の葬儀は鳴り物入りですから、とても賑やかです。
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遺影の写真は、米寿を迎えたときの記念にフォトスタジオで撮影した物。
どこぞのマダムのような顔をしています。
また、棺桶の中の表情もまことに穏やかな寝顔にみえました。元気なときでも眉間に皺を寄せて寝ていることが多かったので、ちょっと不思議な感じがしました。
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これが本日のオールキャスト。
私と妹、そしてお袋さんの弟さん二人とその奥様。
妹の子供達、お袋さんからみれば孫とその奥様です。
故人のお友達の参列がないのは、長生きをした一つの証です。
お袋さんは、享年96歳と紹介されました。数え年で表すのですね。
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これは葬儀の後、葬祭場の方が我が家においでになり、セットしてくださった「後飾り祭壇」と言われるものです。
四十九日までは、既存の仏壇の扉を閉め、神棚も封印し、この状態でお参りをするとのこと。 |
※令和7年4月12日お袋さんの四十九日法要
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幸いにも天気の狭間でとてもよく晴れました。
喪服というか礼服を着ていると汗ばむくらいでありました。
四十九日法要を葬儀と同じ葬祭場で行いました。
葬祭場で菩提寺僧侶の読経のあと、お墓に納骨に向かいました。
お供えの花や果物は、お下がりとしてもらい受けました。
花は、参列者みんなで帰りに分けました。 |
お墓での納骨です。
お供えは、菩提寺の指導の下、山の作物、畑の作物、海の作物、果物、生米、塩、水、花、ローソク、線香を準備しました。
これだけのものを用意するのはなかなか大変でありました。
お供え物を置く台は、折り畳みコンテナで代用しました。 |
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これが本日のオールキャストです。
私が撮影しましたので、私は写っていませんけどね。
菩提寺のおっ様は、つい先日晋山式を終えて正式のご住職になられました。
オヤジの葬儀の時は、この若きおっ様の2代前の方でしたから、菩提寺との付き合いも長くなりました。
さて、納骨を終えて忌明けとなり、仏壇に設置する位牌も、オヤジとオフクロさんとの連名のものになりました。 |
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