Stage 2

※平成23年6月4日 久々の林学科同期会

 毎年この時期に母校の大学祭が開かれ、それに併せて、農学部の同窓会総会と記念講演会が開かれています。といっても、今回まで、気にしたことはありませんでした。
 しかし、たまたま同級生のM君が、その講演依頼を受けたとのことで、久々に会えないか、という話になり、ならばいっそのこと、57年林学科卒の同期会を開かないかという話に発展しました。
 同期会と言っても、その年の林学科卒業生は、総勢17名しかいません。とはいえ、住所がすでにはっきりしない人などいまして、連絡するのに苦労しましたが、それでも、本人や家族が病気療養中の人、あるいは都合の悪い人等を除いて、8名が呼びかけに応じ、集まってくれました。ま、半分以上と言うことですな。

 当日は、懐かしの大学で総会と記念講演、そして、懇親会が行われました。そのため、久々に大学まで出向くことになりました。仕事の関係で何年か前に訪ねたことがありますが、我々が通っていた頃に比べて、ずいぶん変わりました。なんせ、今は、大学の真ん中に地下鉄の駅ができています。昔は、二つの駅の真ん中にある感じで、坂道を登って通ったものでした。新しい建物も沢山ありますし、ちょっとキャンパスらしくなったかなぁ。しかも、今日は大学祭。若い子がいっぱいやぁ〜。短パン生足の団体は、おじさんには眩しすぎますな。ただ、いまや農学部林学科という学科が存在せず、なんか一般ウケするような名称に変わっているのが、ちょいと寂しい気がします。

 で、同期会は、午後6時から場所を改めて開催。懐かしい昔話や今の仕事、日本の森林や、はては地球環境について話が弾みました。仕事大変なんだぞぉ、と愚痴りながらも、み〜んな立派になって、それぞれの分野で頑張っていましたよ。さすがに私のように、退職して隠居宣言している人はいませんでしたが。

           

 大阪へ帰る人の新幹線の時間にあわせて、10時30分頃、名古屋駅にて解散。
 いっぱいしゃべって、したたかに飲んで、みんな楽しんでくれて、いやーよかったよかった。と、私も帰途についたわけですが、ここからが実は大変だったのですよ。
 なぁ〜んと人身事故のため、電車がストップ。このような場合、まず2時間以上は動きませんよ。
幸い座っていたので、うっつらうっつらと舟を漕ぎながら本を読みふけっていましたが、家に着いたのは、午前1時すぎ。すっかり酔いも覚め、じ〜と座り詰めだったので、腰はだるいし、とっても、疲れた1日となってしまいました。
 さて、次にみんなと会えるのはいつでしょうか?


※平成25年4月1日  隠居生活に入る 

 Stage1のラストには、早期退職の後、ある人に頼まれて某団体で1年間の滅私奉公に……と書きましたが、結局御奉公は、2年に及びました。
 かなりこき使われましたよ。残業手当も出ないのに、残業もいとわず、現役時代同様、いやそれ以上にハードではありましたが、良き仲間に恵まれ楽しく仕事をすることができました。

 下の写真は、その職場の「飲み仲間」であります。
                 
 
 実はこの団体、私が在職している2年の間に近い将来解散することが正式決定しました。また、新年度早々、不幸な事件もありました。
 プロパー職員の方々にとっては、モチベーションが下がることばかりでしょうが、なんとか乗り切ってくれるものと、確信しています。

※平成25年6月8日  N大学フォルクローレ同好会創立40周年プレ大宴会開催

 大学時代の項目に、この同好会については記載されています。私の出演した最後の定期演奏会が第6回だったという、とても若いクラブだったんです。
 で、来年なんと創立40年ということになるそうな。このたび、尽力してくれる後輩のおかげで、N大学祭が開催されている最中、名古屋市内某所にて、100名近いOBOG、現役が集結しました。
 私の同期は、私の他に4人が出席。創立者のH大先輩も出席され、思い出話に花が咲きました。我々の時は、定期演奏会の本番よりも、創立者達の前で披露するリハーサルの方が緊張したよなぁなんて、思い出話に花が咲きました。
 同期の人は勿論、卒業以来会うような後輩や先輩も、結構、昔のまんまなんだねぇ。

 有志達が次々と演奏してくれましたが、我々の時よりも格段にレベルがあがっている感じ。なんでも、とても高級なチャランゴやケーナも発売されており、音程もしっかりしているそうな。ふ〜ん。
 
 久々にフォルクローレをしっかり聴きましたが、やっぱりいいもんですな。

 下記の写真。左端が私。その隣がH.T君、その隣が創立者Hさん。右手前が仁君、その右がY.K君、そのとなりが大先輩Iさんです。



 ※平成26年9月6日  N大学フォルクローレ同好会創立40周年記念イベント

 
 昨年プレイベントが開催された我が大学のサークル。
 なんと、本イベントは参加希望者が大勢過ぎて、2部構成になりました。

 第一部はコンサートということで、現役学生の演奏や他大学からの客演演奏、そしてプロの演奏が披露されました。そして、場所を変えて第二部は大宴会と言うことで、200名近い仲間が参集いたしました。私は、第二部から参加。宴会場でも、後輩やプロ、他大学からの客演演奏が披露され、とても賑やかな、とても楽しい宴会となりました。伏見に、こんなパーティーができる店があるとは知りませんでしたね。

 上は当日配られたパンフレットの表紙です。部室の入り口ですね。今でも同じ場所にあるそうで、その姿は昔と変わっていませんが、びっくりしたのは、なんとエアコンの室外機が見えること。贅沢になったもんですねぇ。
 このパンフの冒頭では、民族博物館リトルワールドの館長がコトバを寄せて下さってます。

 そして今回示されたOBさんの名簿によれば、既に鬼籍に入られた方が3人もいらっしゃるとのこと。少々びっくりいたしました。とくにすぐ上の先輩、と言っても私は浪人して入学していますから歳は同じなんですが、が亡くなられていたとは、驚きでありました。部長としてサークルをリードして下さった方であり、色々とお世話になった先輩でした。ご冥福をお祈りしたいと思います。 
  写真は第2部の宴会シーンです。
 みんなが首からぶら下げているのは、入学年次と氏名が書かれた名札です。
 細かい気遣いですね。今回のイベントを企画運営してくれた後輩たちには、感謝の言葉もありません。

 さてさて、卒業して30年以上経つというのに、みんなあんまり変わってないなぁ。女性陣も変わったのは名字だけ。あの頃のまんま。

  
 いや、右の写真で私の左に写っている彼は、正直、誰だかわからなかった。こんなに貫禄あったっけか? それに対して、右隣の後輩は、まったく当時のまんま。このまま学生でも通用する感じでしたねぇ。

 宴のラストは「花まつり」の大合唱。まだ原語で歌えるのに自分でもびっくり!

 それにしても、今回の企画運営に当たった数多くの方々。本当にご苦労様でした。そして、ありがとうございました。

 帰り際、創立者の大先輩達に、「50周年もよろしく〜!」と声をかけたら、「どうなるかわからんで、もう少し刻んでくれ〜!」と返されました。ハハ!
   これは、宴会の後、まだまだしゃべり足りないよぉーと、四人で居酒屋に入り込んだところ。店の人に撮って貰いました。

 また近いうちに会おうねと、再会を約束して名残惜しく別れました。

 いゃ〜、久々に午前様でありました。 
   

※平成27年8月 お袋さん、胃癌となる   

 詳しくは、HP本編の「既公表分抜粋」より、「46.大変な年だった2015年」をごらんくださいませ。
 それにしても、この時ほど早期退職していて良かったと思ったことはありませんでした。

 今後、いくつまでお袋さんが元気にいられるか判りませんが、健やかに過ごして頂きたいと思っております。できれば、日本の年金財政を震撼させるくらい長生きしてほしいものです。 
 

※平成28年12月 お袋さん、肺炎となる

 恒例の大平サロンコンサートが終わってから、どうも風邪気味で調子悪いと言っていたお袋さん。
 すぐ行きつけの診療所に行って薬を貰ってきたのが、24日。でも、やっぱり体がダルく調子が悪そうなので、渋るお袋さんを診療所の診察最終日に連れて行ったのが、年末押し迫る28日。
 すると、「これは肺炎かもしれないし、結核がまたぶり返したかも。午後から市民病院の緊急外来に行ったらどう?連絡しておくから」
 と言うことで、午後、市民病院へ。

 相手をして下さったのは、呼吸器が専門ではない女医さんでありましたが、「入院した方が安心でしょう。どうです?」ってなことになり、もう一度家に戻って、入院の準備をして、また病院へ。

 胃癌の時は、外科病棟だったけど、今度は内科病棟。夜7時頃、病棟のナースステーションに行って、「本日入院予定の者ですけどぉ〜」と声をかけたら、看護師さん達は、ベットで玄関までお迎えに行くつもりだったようでありました。とうのお袋は、後ろからヒョコタンヒョコタンと歩いてきてるので、驚かれましたよ。「お歳の方が肺炎と聞いて、もっとフラフラになっていると思ってました〜。」とのこと。(笑)

 結核の疑いもあると言うことで、一時「面会謝絶」の札を掲げた個室にいましたが、結局、菌は出ていないと言うことで、大部屋に移動後、31日に退院しました。その間、処置は点滴ぐらいかな。

 そんなわけで、年越しそばも、新年明けてからの雑煮も、すべて私が作る羽目になり、年末から年始にかけては、大掃除から食事の支度まで、私は、八面六臂の大活躍だったのですよ。やはり健康なのが一番ですね。

 今後も、胃癌と肺炎の経過観察で、市民病院通いが続きそうです。
  

※平成29年9月9日 宮前の森林倶楽部創立20周年記念パーティー

 かつて私もその創設に関わった宮前の森林倶楽部が、創立20周年となりました。

 当時流行っていた森林ボランティアの一つですが、行政の手が離れても存続していくよう、色々工夫を凝らした物でありました。
それが今は、森林ボランティアの枠を超え、地域に根ざしたネイチャー団体として見事に活動を継続しています。

 そして20周年となり、このたび記念事業が開催されました。詳しい状況は、
宮前の森林倶楽部非公式ホームページを参照して下さいませ。
 宮前の森林 創設20周年記念パーティー 

※平成30年6月30日〜7月1日 大平サロンコンサート創立20周年記念パーティー

 偶然の出会いから始まった大平サロンコンサートが、初パーティーを開いてから20年となりました。

 このため、前々から構想だけはあった、泊まり込みパーティーを企画いたしました。
 詳しい内容は、ホームページを参照して下さいませ。
 http://nemurihime.music.coocan.jp
 

※令和元年9月2日〜9月4日 還暦の初体験 全身麻酔で手術 

  この年の1月頃、右下腹部に違和感を覚え、かかりつけ医に診てもらったところ、予想通り、鼠径ヘルニアとのこと。
 そんなわけで手術する羽目になりました。その顛末は「コラム」に詳しく掲載しましたので、そちらをご覧下さい。
 還暦の初体験 全身麻酔

 ※令和元年11月30日  F中学校第4期生 プチ同窓会 

  久しぶり、本当に久しぶりに同窓会が開かれました。
 この日は、恩師も出席して下さいました。その模様は、別ページを設けましたので、下記をクリックしてくださいませ。

     F中学校第4期生 プチ同窓会

 

※令和2年9月 お袋さん、市民病院を卒業する   

 2015年9月に胃癌の手術をしてから、まるっと5年経ちました。

 そして9月18日、晴れて市民病院から卒業宣言を頂きました。この5年の間も色々ありました。担当医師は、3人かわって4人目の先生となっていました。
 最近は、市民病院にて、半年に一度検査をし、診断を受け、また3ヶ月に一度は、かかりつけ医のところで、マーカー検査を受けてきました。私が付けてきた、この5年間の記録、お袋さんの闘病レポートは、A4の紙で9ページに及びます。

 今後も、かかりつけ医のところでは、半年に一度ぐらいはマーカーの検査をするとのこと。まぁ何といっても90歳ですからねぇ。
 普段、家にいるときは、猫の様に寝てばかりなのですが、外に連れ出すと元気に一人でスタスタ歩いておりまして、皆から「お元気ですねぇ」と言われて、一人ご満悦であります。また、しっかりしているようで、昔から結構ポカをやらかすので、ボケているのかどうか、よくわかりません。

 何といっても歳でありますから、穏やかに暮らして頂けば良いのですが、ちっともこっちの言うことを聞かないんだよねぇ。やはり歳をとると頑固になるんですな。私も気をつけないとね。

 ※令和3年6月 お袋さん、コロナワクチン接種完了 

 当初集団接種に応募しましたが、くじ運が悪いんですね。ことごとく外れました。ま、それなら、のんびり行くかとかかりつけ医院のF診療所で申し込みました。 
 お袋さんは91歳ですから、エントリーとしてはおそらく一番に呼ばれるだろうなと思っていました。

 そしたらば、まさしくF診療所での最初の接種者となりました。5月24日の午後1時半に1回目を接種、6月14日の午後1時45分に2回目を無事終了しました。診療所は、午後の休診時間にもかかわらず、スタッフ総出で対応しておりました。ホントならば休憩時間なのにね。頭が下がります。

 年寄りは副反応が少ないというのは本当のようで、お袋さんは2〜3日腕が痛いくらいで、まったく普段と変わらない状態でしたよ。

 問題は、64歳以下となる私がいつ接種できるかですね。

 ※令和3年8月 私も、コロナワクチン接種完了 

  私の手元にクーポンが届いたのは、7月の始めでした。
 実はお袋さんの申込をする際に、私の分も申し込んでおきましたけど、接種できるのは8月になってからかなぁと言われてまして、しゃぁないなぁと思いつつも、ネットで接種場所を検索すると、なんと高蔵寺駅近くのクリニックに空きがありまして、早々に申し込み、F診療所の方は、キャンセル。

 結局1回目を7月末、2回目をその二週間後に無事接種することが出来ました。新しいクリニックで、といってももうだいぶ経つのかな、電車から見えるので存在は知っていましたけど、とても綺麗なクリニックで、女医さんが接種してくれましたよ。
 副反応は、少々腕が痛いくらいで、私も年寄りの仲間なのかなと実感した次第です。

 なんでも3回目も接種した方がよいそうな。いつまで無料でやってくれますかね?

  ※令和4年1月 お袋さん、2月に私も、コロナワクチン3回目接種完了

 上記に記載したとおり、お袋さんの場合、かかりつけ医院のF診療所でのワクチン接種は、その診療所での一番最初の日でした。
 そんなこともあって、当院において17日より3回目の接種を開始するが、都合はどうですかと電話がありました。まだ、クーポンが届いてないけどと応えると、後で差し替えするから都合が良いならば、問診票を取りに来てとのこと。
 早速取りに行きましたけど、そうこうしているうちにクーポンが届き、無事3回目の接種が完了しました。

 私自身は、1月末にクーポンが届き、その日に去年接種したFクリニックにネットで予約して、2月15日に接種を完了しました。
 でも、こんなことがありましたよ。

  私もお袋さんも3回ともファイザーだったのですが、家に帰って、接種証明となるシールをよく見てみると、シールの上に何やら赤字のシールが貼ってありました。「有効年月日 3ヶ月延長」

  うん?ナニコレ?よく見るとシールにはそれぞれ最終有効年月日なるものが印字されていて、この延長シールが貼ってある2月15日に接種したものの有効年月日は1月31日となっておりました。で、改めて今まで接種してきたシールをチェックすると、お袋さんの分も含めて全て有効年月日以内でした。

 私自身は、食品の賞味期限も消費期限もあまり気にする方ではありません。納戸を探れば去年の調味料が出てくるような家に住んでますけど、なんだかねぇ。それなら最初から4月30日にしておけば良いのにねぇ。とは言え、接種した夜には少々腕が痛くなったので、それなりに効いてはいるみたいです。
 あと残る問題は、いつまで無料で接種してくれるかですね。インフルエンザの予防接種も、お袋さんに比べると格段に高いからね。 

※令和4年5月 腰椎変性すべり症になってしまった

 以前から時々臀部つまりお尻の筋肉が痛いことがあって、歩きづらいことがありましたが、その症状は出たり引っ込んだりといった感じでした。
 しかし、今年になってからどうも調子が悪かったので、病院で見てもらいました。レントゲンやMRI、骨密度の検査をしました。骨密度は平均より高かったのですけれど、「腰椎変性すべり症」と診断されました。実は、ネットで調べて、これかなぁと思っていた病名です。
 医師によれば、男性の方が多いとか。んじゃどうするか?ま、痛み止めでも服用しながらリハビリしてノンビリ様子をみますか、となりました。
 痛み止めの薬は効かなかったら服用しなくて良いと言われましたが、確かに効かなかったので、すぐやめてしまいました。

 というわけで、一週間に一度リハビリテーションに通っております。そこでは何をしているかというと、若いお姉ちゃん理学療法士さんにマッサージしてもらったり、お尻の筋肉を鍛える体操をやりなさいと宿題をもらったり、10分間サイクルマシーンに乗ったりしています。時々、イケメン兄ちゃんやオジサン理学療法士さんに変わるのが玉にキズではありますが、まぁ、楽しんでいます。でも、健康保険が効く期間は決まっているのでね。いつまで通うことになりますかわかりません。完全に治ることはないでしょうからね。

 ウォーキングの方も、痛ぇな〜と呟きながら、暇を見つけてはやってます。ただ、どうしても歩幅が狭くなるので同じ距離を歩いても歩数が多くなりますけどね。また、幸いにもエレクトーンのベース演奏には、今のところあまり支障を感じてはおりません。

※令和4年6月18日 4回目のワクチン接種

 お袋さんのワクチン接種は、F診療所の1番に接種してもらいました。
 私も60歳を超えていますので、7月21日に接種いたしました。 

 ※令和4年8月 冷蔵庫が壊れた

 なんで冷蔵庫というモノは、夏に壊れるのかねぇ。ま、古いモノだから仕方がないけれどさ。
 誰もが経験があると思いますけど、冷蔵庫が壊れると、新しい冷蔵庫が来るまで、中身の保存が大変ですよね。
 新しいモノは、は12日に到着。

 冷蔵庫の扉や横にペタペタ色々なものを張ると、よくないと言いますけど、新しいモノの扉には磁石が付かない!横には付くけどね。
 これって、やっぱりちょっと不便だよね。

 ※令和4年8月の終わり お袋さんが体調を崩す

 8月の終わりから、92歳のお袋さんの体調が最悪状態となりました。
 それで9月3日から二週間毎日点滴を打ちにF診療所へ通いました。

 その後かかりつけ医のアドバイスに従い、介護保険を使ってデイサービスに通うことになりました。要支援1です。
 介護保険料だけ払って、何にも利用せずに旅立つのかなぁ、なんて思っていたら、やはりちゃんと、それなりの時期にそうなるものですね。
 年内は、週に1回の午前中コースでしたが、年明けから週2回、通うことが出来るようになりました。
 詳しい顛末は、「既公表抜粋」に記載しました。

 ※令和4年10月7日 友、遠方より来たる!

 
 とても懐かしい友人が名古屋まで訪ねてきてくれました。何年ぶりかな?

 私が某事業を担当していた若かれし頃、R庁の担当者で大変お世話になった方であります。

 担当を離れてからも、歳も近いことから妙に馬が合い、出張で名古屋を通る度に機会があると寄ってくれていました。もう20年来の付き合いになるでしょうか。
 私も様々な事業を担当しましたけれど、国の方とこのような濃密な関係になった方は、このHさんが唯一の方です。

 コロナ禍でなかなか会えませんでしたが、久々に名古屋に寄る機会ができたと連絡があり、当時一緒に事業を担当していた同僚と共に、旧交を温めたと言うわけであります。
 呑み倒したと言うより、様々な話に花が咲いて、5時半から10半頃まで、ずっと同じ店で、くっちゃべっていました。とても楽しくも有意義な時間を久々に過ごしました。

 ※令和4年10月18日 私のリハビリ期間最終日

 5月から始まった、腰椎変性すべり症の改善のためのリハビリテーション。本日で終了となりました。
 保険が効く月間は、しっかりと決まっているらしいです。
 勿論、治ったわけではないので、自主的にストレッチや筋力トレーニングは、続けなくてはいけません。当然、今でも痛みはあります。

 担当の若いお姉さん先生には、本当にお世話になりました。時々相手をしてくださった、おじさま先生も、わざわざ挨拶しに来てくれました。涙涙のお別れをしてきましたよ。ちょっと寂しいですね。

 

 ※令和4年11月19日 コロナワクチン5回目接種

 接種間隔が短くなったので、今回はお袋さんと一緒に、行きつけの、いや、かかりつけ医院のF診療所で打ちました。
 予約の時間は決まっているわけですが、当然早めに出かけますよね。そしたら診療所はもの凄い人でした。考えてみれば、今までよりも同じ時期に接種できる人が大勢いるわけですから、多くなるわけですな。

 診療所はこれまでの接種の時と違い、レイアウトを大幅に変更して、バックヤードまで使って効率的に接種できるように工夫されていました。
 まぁ、コレで安心というわけですが、そもそもこれは効いているのでしょうかねぇ。

 ご存じでしょうか。モデルナやアストロゼネカと日本との契約は、ずいぶんな内容なのですよ。
 転売は不可は、まぁわからんでもありませんが、譲渡も不可なのです。商売の邪魔をするなと言うわけですね。

 だから途上国などに送るわけにも行かず、買った分は全部使わないと、もったいないですよね。
 なんだかねぇ。巨大産業に踊らされているような気がしないでもありません。

 他のワクチンと違って、弱体化したウィルスを打つわけではありませんから、そもそも全く異なるということになります。
 それに、コレを打って、10年後、20年後、あるいは50年後、人体にどのような影響があるかなんて、治験データがあるわけでなし。

 やはり一番大切なのは、自分の免疫力を高めることなのでしょう。それには、規則正しい食生活、ストレスをためない日々の暮らし、そして、適度な運動ってわけでしょうが、コレがなかなか。。。ねぇ。

 ※令和5年6月15日 コロナワクチン6回目接種

 お袋さんには早々に接種券が届きました。
 どうせ私が連れて行くことになるのだしなぁ。一緒に打ちたいと考えますよね。
 私自身は高齢者に一歳届きませんが、ステント入れていて基礎疾患を有することになります。というわけで、申請をして一緒に打ってきました。
 無料接種は今年度までとのこと。有料になったら、インフルエンザは接種しても、コロナはやらないかな。

 ※令和5年7月1日 第46回大平サロンコンサート開催

 コロナが第5類になったとのことで、もういいよね、とついに開催いたしました。
 詳しい様子は、大平サロンコンサートのページをご覧下さいね。

 ※令和5年7月29日 友人S君を偲ぶ会

 
  7月24日、中学、高校と共に時を過ごした同級生が亡くなったとの知らせが届きました。

 彼とは卒業以来疎遠ではありましたが、彼の声がけで、令和元年11月に久方ぶりに中学の同窓会が開かれました。これからはチョコチョコ会えて旧交を温めることができると思っていたのに、とても残念です。

 彼との思い出は沢山あります。特に鮮明なのは、同じクラスとなった高校2年の時かな。一緒に体育祭、文化祭を盛り上げたことや、国鉄のストライキ等で何度も延期され、結局3月の期末テスト直前に行った修学旅行のことかな。
 関門トンネルの福岡山口の県境で撮った写真を私のホームページに掲載してますが、私の隣でサングラスをかけて笑っているのが彼です。

 学校帰りにキオスクで買ったあんパンを分け合ったこと。エスカ地下街で初めて食べたハンバーガーや今は無い新幹線地下の食堂街で並んで食った、とんちゃん入りのカレーライス。なんか胃袋で覚えている気がするけど、全てが愛しい思い出です。
 で、29日にK君の声がけで、偲ぶ会が梅ちゃんの店で開かれました。この写真には写っていませんけど、ちゃんとS君の分のビールもお供えして、みんなのそれぞれの記憶に鮮明に残っている思い出話をしながらの会でありました。彼もきっと一緒に呑んでくれたんだと思います。
 いずれみんなそっちの世界に行くことになるから、そしたらまた、愉快に呑もうね。合掌

 ※令和5年9月29日 友、再び遠方より来たる

 
 昨年に引き続き、約1年ぶりに、またまた友が遠方より会いに来てくれました。
 ありがたいことですねぇ。上位官庁の彼と一緒に仕事をしたのは、もう遙か昔のこととなりました。それでも変わらぬ友情に感謝感謝であります。
 互いの近況を時間いっぱい、くっちゃべりましたよ。

 ※令和5年10月1日 お袋さんの介護度が変更

  1年前に要支援1に認定され、デイサービスに週2回通ってきました。
  介護認定は1年ごとにチェックが入るらしく、今回再チェックを受けました。昨年は市の方から係の人が来られましたが、今回は、この業務を委託された業者の方が訪問されました。何でも委託されたのは今年が初めてとのことで、しっかりやらないと来年は委託されなくなるかも、なんて言ってました。昨年と同様に色々と問診をし、私からも色々とお話をしました。
  そして後日届いた結果は、要介護1に変更となりました。支援から介護に変わると、地域包括支援センターから正式にケアマネジャーが派遣され、介護計画を立てることとなります。お袋さんの状態は昨年と特に変わったわけではありませんが、介護に変わると点数が上がるので、使えるサービスが増やすことができます。というわけで、週3回、せっかくお風呂がある所に通っているので、1回は風呂に入ってくるとことになりました。
 後から知り合いに聞いた話ですが、今はなかなか介護度を上げてはくれないとのこと。介護を必要とする人が沢山いるからねぇ。
 要介護になるとケアマネジャーさんが月に一度様子を見に来ることになっています。とても気さくな方でありまして、色々相談に乗ってくれます。
 12月に我が家でサロンコンサートを開催するにあたり、ショートステイさせたいと希望したら、なんとか空いているところを探してくれました。そして、どんな人が集まるか興味津々で、私の演奏も聴きたそうにするので、1曲ご披露しましたよ(^_^;
  

 ※令和5年10月5日 これで最後?コロナワクチン7回目

  無料で接種できるのはこれが最後ということで、おふくろさんと一緒に接種してきました。
 有料になったらインフルエンザはやっても、コロナは接種はしないかなぁ。でも予防に対する心構えは必要ですね。

 ※令和5年10月9日 第5回東海学シンポジウム出席のついでに、城山八幡宮(末森城址)を見学

 
 東海学シンポジウムが、春日井シンポジウムと呼ばれていた時代から毎年聞きに行ってましたが、昨年はお袋さんの体調が悪かったため欠席でありました。というわけで、1年ぶりの参加です。今回のテーマは「食に学ぶ」。第1回にも登壇された、あの小泉武夫先生の講義も久しぶりに聴くことができました。朝から夕方まで、久しぶりにアカデミックな1日を過ごしました。そして。。。。
    会場である愛知学院110周年記念講堂の隣は、城山八幡宮でありまして、そこは。。。。
 末森城址となっております。
 今回は天気が良かったので、昼休みに歩き回ってきました。
 
   ほら立派な石碑もあります。

 空堀もかなりハッキリと残っています。 
   この案内図ではよくわからないでしょうが、かなり広大な敷地に様々施設が集まっています。

 地下鉄の本山駅から歩いて数分の場所。
 本山といえば、私が大学の頃、教養部時代に降り立っていた駅です。

 こんな所にこんなモノがあるなんて、全く知りませんでした。
    こんなレトロチックな建物もあります。 
 旧昭和塾堂と看板が立っております。
 現地には詳しい説明はありませんでした。ネットで調べるとかなり詳しい解説がヒットしますが、少々難しいので、興味がある方はご自分で調べてみてください。
   これは、昭和塾堂の前にある養心殿(武道場)であります。
 ここは今も使われているようでした。
   

  ※令和6年3月21日 お袋さん救急車で搬送

  週に3回デイサービスに通わせ、週に一度は買い物と外食に連れ出していましたが、家にいるときは24時間中20時間くらい寝転がっていました。食事はお袋さんの好きそうな物を作って、叩き起こして食わせましたが、面倒くさがってあんまり食べません。でも、トイレには自分で歩いて行き、風呂も自分で入ってました。

 そんな3月20日、トイレに行く途中で滑ったんだか躓いたんだか、つまり転びました。とても痛がってましたが、這いつくばってトイレには自分で行きました。1日様子を見るかということになりましたが、次の日も立ち上がれなかったので、嫌がってはいましたが救急車を呼びました。
 私も救急車に初めて乗りました。乗り心地はお世辞にも良いとは言えません。車は揺れる揺れる!振動がすごい。お袋さんは揺れる度にイテッと叫んでました。

 そして市民病院の緊急外来で検査。その結果、左大腿骨頸部骨折。整形外科の先生がみえて、治療の基本は手術して歩けるようにすることが目標とのこと。今年94歳でも大丈夫ですか?と聞くと、ウチの病院ではその手術の平均年齢は80才以上とのこと。そりゃまぁ、その部分の骨折の多くは年寄りがするでしょうからねぇ。
 というわけで、その日にそのまま市民病院に入院、次の日手術をしました。そこには2週間ほど入院して、その後リハビリ病院に転院するとのこと。お袋さん自身は、イマイチ入院していることを自覚していないようですけどね。

 急いで入院準備するのは大変でしたし、またケアマネさんやデイケア先の施設、かかりつけ医等、様々なところに連絡するのも大変ではありました。しかし、毎日面会に行くのは面倒とはいえ、やれ朝が来た、メシができた、風呂に入れ、運動しなさい、と言っても、ちっとも言うことを聞かないお袋さんにイライラしながら世話することから解放されて、私自身は現在少々穏やかな気持ちであります。食事も自分の好きなものを作れますしね。とは言え、たぶん帰ってきてからが大変だろうなぁ。
 きっとリハビリはキツイでしょうねぇ。多少でも歩けるようにならないと帰れないぞと言ってますけど、まぁこれまでこっちの言うことをちっとも聞いてこなかったせいですな。自業自得でしょう。
 それにしても、長生きすると90超えても、初体験というのはあるんですねぇ。

 ※令和6年4月2日 お袋さん転院

  転院先は私も通院しているT病院に決まり、本日転院でありました。まだ歩けないのにどうするの?と聞くと介護タクシーを予約しましたとのこと。料金はその場で現金でするようにと言われました。タクシーは双方の病院の玄関から玄関まで車椅子で運んでくれました。市民病院からT病院まで6千円でしたが、運転手さんと話をしたら、個人経営であるとのこと。またお世話になるかもねぇ。

 さて今度の病院は、リハビリをして回復を目指すというものです。私も腰椎変性すべり症の時お世話になった体育館のような広いスペースで、作業療法1時間、理学療法1時間、行うことになります。つまりお袋さんにとっては、家で暮らしたいたように寝てばかりはいられないと言うことですな。
 我が家からは近いので、毎日面会に行っています。今はコロナのこともあって、面会時間は15分と決められています。洗濯物をとりにいったり、どうせメシも面倒がって満足に食ってないだろうからと、アイソカルゼリーやら果物なんかも差し入れています。
 とりあえず60日間とのことらしいですが、どうなりますかねぇ。

 ※令和6年4月30日 枚方から甥っ子達が面会に来た

  枚方に住む、私の元看護婦の妹と、理学療法士の甥っ子、薬剤師の姪っ子が面会にやって来ました。
 事前に病院には面会メンバーの職業も連絡してあったので、お袋さんのリハビリ時間を調整してくれて、担当の理学療法士と作業療法士が、それぞれ色々と説明してくれました。甥っ子からは専門的な質問もしてくれましたよ。お袋さん自身は、相変わらずでしたけどねぇ。
 ところで不思議なのは、同室に入院しているお婆ちゃん(お袋さんよりはずっと若いけど)が、いつも家に帰りたい〜と叫んでいるのに、ウチのお袋さんの口からは一度も出ないんだなぁ。我慢しているのか、よっぽどココの居心地が良いのか?

 ※令和6年5月9日 座敷のサッシ取り替え工事開始

  我が家で1番大きな窓である座敷のサッシの取り替え工事が始まりました。これはお袋さんの転倒とは関係なく、もうずいぶん前から開けづらくなっていた箇所です。この部分は以前のリフォームでも触っておらず、50年程前の建設当時のそのままでした。冬の間は窓を開けることもなかったのですが、今年元旦の地震の影響とは思えませんが、完全に開くことができなくなったので、懇意にしているリフォーム会社にお願いしたところです。
 サッシの上の部分がたるんで下がってきているので、少々幅を狭めましたが、硝子そのものを大きくしたので違和感はありません。そして、新しく入った二重硝子はとても透明感が強く、他の窓の汚さが強調されるようになりました。窓拭きしてないからなぁ。

 ※令和6年5月21日 家屋調査

  今後のリハビリ方針を検討するために行われました。
 病院からオフクロ本人、理学療法士と作業療法士、車椅子やら歩行器等を我が愛車に乗せて我が家へ。家の前では、ケアマネさんと福祉用具相談員さんが待機しているという、かなり大がかりなものでありました。

 先日病院内で市の介護認定の変更チェックの結果、要介護3となったお袋さんは、歩くのもやっとのヘロヘロ状態でありました。リハビリも嫌がってあまり一生懸命やらず、ご飯も食べるのが面倒くさいようでした。おそらく体力そのものが低下しているのですね。毎日、午前と午後1時間ほどリハビリしているとはいえ、それ以外は寝っ転がっているので、体を起こすと血圧が下がる、また夜中に何度もトイレにいきたがる、ということで、このまま自宅介護では、息子さん(わたしのことです)が参ってしまうよということになり、苦渋の決断ですが、リハビリ病院を退院したら特別養護老人ホームに移ることになりました。
 これまでいずれ戻ってくると思って、毎日面会に行って果物やゼリーを差し入れし、家を掃除し庭の草取りをし、リフォームしたデカイ窓のところにベットを置いて、なんて考えてきましたが、なんだかねぇ、気が抜けてしまいました。

 ※令和6年6月24日 特別養護老人ホームに入所

  本日、某特別養護老人ホームに入所しました。リハビリ病院には、限度90日近く置いてもらうことができ、また、待機期間なしで直接老人ホームに移ることができました。
 リハビリ病院は、標準である60日以上の入院となると、リハビリ病院としての評価点が下がるということは、理学療法士の甥っ子から聞いておりました。そのため、そのことは重々承知してますが、なるべく長くリハビリを実施してくださいと病院の方にお願いしていたところです。限度日数終了後特養に空きがなかった場合は、ショートステイにロングスティとなるところでありました。そんな中、地域包括支援センターのケアマネさんのご尽力により、すんなり待機期間無しで特養に移ることができました。ホームに入院すると、ホームのケアマネさんが担当しますが、まえのケアマネさんには今でもLINEで愚痴を聞いてもらってます。

 入所に必要な衣類や衣装ケースなどは、入所日が雨天だと困るので事前に運び込みましたが、その時は、どこのどんな部屋に入室するのかは、まったくわかりませんでした。事前に見学はしましたし、説明は聞いてはいましたけどね。

 ところで、今度は洗濯等はホームでやってくれます。でも、すべてに名前を書けとの指示で、ネットでアイロンを使ってくっつけるラベルを購入しました。私は何十年かぶりで久しぶりにアイロンを使いました。お袋さんもずっと使ってなかったので、押し入れの中で埃まみれになっていましたが、ちゃんと使えました。何度が家で洗濯してみましたけど、剥がれることはありません。今は便利なものがあるんですねぇ。

 お袋さんが入所した老人ホームは、我が家から一番近い所で、今後も毎日顔を見に行っても苦にはならない距離であります。ケアハウスやショートステイ、デイサービスも併設し、特養の収容人数は100人越という、かなり巨大な施設です。でも老人ホームは、ただ暮らすだけですから、私が面会時に簡単な運動をさせようかなと思っていました。
 ところがなんと、お袋さんが入所するユニット内(ここの施設は、何室かの個室でユニットを形成)でコロナ感染者が発生し、28日までは面会ができないとのこと。そのため、入室の説明やら身体状況の検査などを一緒にやった後、お袋さんは係の人と一緒に部屋へ行き、私は残って契約手続きをいたしました。

 ※令和6年6月29日 お袋さんと初めての面会

  コロナが解除され、久しぶりにお袋さんの顔を見ましたが、別段、特別な反応はありませんでした。
 部屋は、妹が通っていた高校のグランドが見える部屋でありました。結構広い個室で、介護人さん達も明るくとても親切な方々ばかりです。とは言え、ココが終の棲家と思うと寂しいものがありますね。
 ただ病院と違って面会時間は1時間あります。せいぜい毎日面会に行って、リハビリ病院の理学療法士さんに聞いてきた運動をさせて、月に一度ぐらいは、外出許可をとって家で過ごさせてやろうと考えています。理学療法士さんが使っていた血圧計も購入しましたしね。我が家にある血圧計の中では一番高価なものです。

 ※令和6年7月17日 お袋さん、眠剤を服用しだす

  お袋さんが入所しているS特別養護老人ホームのベットは様々な機能があります。起き上がりのセンサーは勿論のこと、寝転がっていても、起きているのか熟睡しているのかを記録することができ、すべての介護人さんがそのデータをiPadで共有しています。
 それによると、夜間何度も何度もトイレにいきたがり、しっかり眠っていないとのこと。マズイのは自分でトイレに行こうとするので、危なくて仕方がない。トイレをすること自体には、大した介助はいらなくとも、見守りは必要です。眠っていないからトイレに行きたがるのか、トイレに行きたくなるので眠れないのか?介護人さん達は、昼間手を替え品を替え、起きているようにはしていてくれますが、なかなか。。。
 そんなワケで、主治医の往診の結果、眠剤を服用することになりました。次の日聞いてみると夜のトイレ回数が、半分近く減ったとのこと。しばらくはこれで様子見ということになりました。

 ※令和6年7月23日 お袋さん半日外出

 
  お袋さんを自宅に迎えるためには、介護ベッドやトイレの手すりを設置する必要があります。でも、介護施設に入所しているため、介護保険は使えません。それで例の愚痴を聞いてもらっているケアマネさんに色々相談し、介護ベッドは月極レンタルすることになりました。感謝感謝であります。
 ホームでは、幅の狭い車椅子を貸してくださいました。我が家までの移動は介護タクシーを頼みましたが、門から何段もある階段を1人で車椅子を使って登ったり下ったりする技には、大変驚きました。
 大阪から元看護婦の妹も駆けつけてくれましたよ。
 ホームにおける極細食の食事の写真も事前に見せてもらってましたが、あまり食べてくれないとのことでした。それでも好物の寿司なら食べるかなと出前を注文しました。どうせ食欲がないだろうからと、二人前しか注文しなかったのですが、結構5〜6貫くらい食べ、オマケに付いてきた冷やしうどんも食していました。すっかり目論見が外れ、私の分がなくなってしまいましたよ。

 この外出にあわせて、長年お世話になってきたF診療所の先生に顔を見に来てくださいとお願いしてまして、往診してもらいました。勿論、投薬などはホームと提携している病院で行われていますので、診察というより顔見せというところです。元気がなかったら、点滴ぐらいはしようかと来られたようですが、思ったよりずっと元気そうだと安心しておられました。足のむくみを気にしておられまして、マッサージの仕方を教えてもらいました。

 そんなわけで、我が家には10時頃〜3時半頃まで滞在しました。1ヶ月に一度ぐらいは、刺激を与えるために今後も計画するつもりです。