愛・地球博に行ってきました!

平成17年8月〜12月ネット上にて公表+α

 今年の愛知県の話題は、なんと言っても「愛・地球博」です。
 この開催に伴い、関連イベントを開催したり、各種の事業担当会議を愛知県に持ってきているので、正直言って、県の職員は、大変な目にあっています。
 とはいっても、ビックイベントであることはかわりなく、券を買わされた?こともあって、75歳のオフクロを連れて7月6日に見に行って参りました。
 今回は、その模様を紹介します。下記の項目をクリックして下さい。
 写真と言っても、大したものはありませんが、覗いてみてくださいな。
 <その後、8月18日と8月25日にも足を運び、計3回足を運びました。今回、既公表コーナーへの移行に伴い、後の二日間の観覧記録も、下記の「ふぉと&るぽ」に付け加えました。>

            愛・地球博ふぉと&るぽ

 さて、今から、35年前にも万博は開催されました。
 私はまだ小学生でしたが、しっかり記憶に残っています。家族4人で新幹線に乗って日帰りで大阪まで行きました。
 フジパンロボット館、ソ連館、住友童話館。そして、帰りがけに入ったケニア館。

 この内、親戚のつてで、フジパンロボット館と住友童話館は横から入らしてもらいましたが、ソ連館は、ずいぶん長い間並んだ覚えがあります。
 で、その時の印象は、なんせテーマパークといったものが今のようにあったわけでないので、沢山の変わった形のデッカイ建物、とりわけあの「太陽の塔」に圧倒され、そして大人の女性の制服姿を見るのは、バスガイドさんくらいでしたから、コンパニオンの綺麗なお姉さん達の姿がとても印象に残ってます。
 そうそう、あの頃はコンパニオンと言ったんですね。今回は、アテンダントスタッフと称してますよね。
 それと外人さんですね。愛・地球博では、あまり見かけなかったけど、大阪万博の時は、よく見かけました。それも当時は珍しかった。

 で、これは後に色々な文献を読んで知ったり感じたりしたことですが、あの大阪万博が、実は日本の文化を大きく変えてしまったと言うことです。はっきり言って、悪い方向に。。。。と、私は思ってます。

 というのも、それまでは、ロゴ入りTシャツを着て、ジーパンをはいて、ものを食べながら歩くなんていうことは、不良のやることでした。しかし、あの大阪万博で市民権を得てしまったわけです。もし、あれがなかったら、今日の外食産業やコンビニ産業も、日本文化の中で、ここまで発展したかどうかは疑わしい気がします。

 いまや、お弁当は、外で買って家で食べる時代ですもんね。どっか、間違ってます。お弁当は、あくまでも家で作って、外で食べるものです。(ちょっと今回の話題には関係ないか?)

 慎み深く、礼儀正しい、うつくしくきれいな日本人、(そう、あのラストサムライで描かれる日本人ですよ)は、あの万博を目処に消え去ってしまい、それに変わって国際化という名のもと、アメリカナイズされた文化が普通になってしまいました。
 勿論、それが今日の経済発展の元となっていることは間違いありませんが、その代償はとてつもなく、大きいですねえ。
 今、その反動が、様々な面で吹き出ている気がします。

 さて、今回の万博がどのようなものを我々に与えてくれるか。開催するまでも色々ありましたが、その評価はやはり、30年40年50年経たないと、判らないのかもしれません。

 ただ、ひょっとすると、そのターニングポイントになるかもしれないイベントに立ち会えたということは、ラッキーだったのかなとも思っています。

(ねむり姫46歳)