「れ」を見て、何を思う

平成23年1月〜3月ネット上にて公表 

 どの朝刊にも、第1面の下の方に、コラムの欄がありますよね。まぁ、朝日新聞の天声人語が入試にも頻出するとのことで有名ですが、新聞各社とも、筆の立つ、脂ののりきった実力派の人が、数人で担当していると聞きます。

 我が家で取っている「中日新聞」にも、「中日春秋」という名のコラム欄があります。毎回、限られた字数の中で、よくこんなに含蓄のある文章が書けるもんだといつも感服しております。

 で、平成22年の読書週間真っ最中の11月5日の中日春秋に、こんなコラムが載りました。


 「れ」。この文字を見て、何を思われるだろうか。多分、多くの読者は小欄筆者と同じだろう。特に何も思わない。
 この「れ」を題にしたこどもの詩を、作家の北村薫さんが「詩歌の待ち伏せ」の中で紹介している。
 <ママ/ここに/カンガルーがいるよ>

       中略

 その子は、そこにカンガルーを見ることができたが、私たちにはできなかった。
 ことほど左様に、大人には見えず、幼い子供にしか見えないものがある。当然、十代の時にしか味わえない感覚も。そういう意味では、どんな本にいつで会うかは重要である。
      
       後略

 そして、コラム筆者は、こう結びます。

 若者よ、書店や図書館に急げ。こちらは、中年のうちに読んでおかなければ取り返しがつかなくなる書物を読まないと。


 これは、たまたま読書週間だから、本に限って述べられていますが、映画にしても、音楽にしても、絵画にしても、はたまた芸術ではないような大衆芸能やマンガでも、当てはまることだと思います。

 私にとっては、ほんと偶然なんですが、タイミング的にズバッとあたったのが、ちょうど就職する前、どう進むかを考えていたときに見た、大森一樹監督の「ピポクラテスたち」という映画です。医学部の学生がこのまま医者になって良いのかと、悩む姿が描かれていたものでした。(ウィキペディアで調べてみて下さい。今あらためて考えるとスゴイ映画だったんですよ)
 あとは、たぶん今の私の人生観は、すべてこれが原点だと思うのが、高校生の頃かな、に読んだ永嶋慎二の「黄色い涙〜若者たち〜」です。未だにこれから脱却できていないなぁと感じています。

 ただねぇ、こればっかりは、一般的に言われているものも確かにそうなんですが、それよりも何が今の自分の状態に当てはまるかは、自分で見つけなければ意味がないんですよねぇ。

 というわけで、今日もあらゆるものに触れたがる私がいます。あ〜、時間がもっと欲しい!


(ねむり姫 52歳)