コロナ後の世界に思いを馳せて

令和5年8月〜12月ネット上にて公表 

 コロナが第5類に分類され、インフルエンザと同じ扱いになりました。各地では中止されていたお祭り等も久方ぶりに開催されだしたようです。2020年夏から開催を控えていた我が「大平サロンコンサート」も、この夏久しぶりに開催することができました。しかし一方、感染者は徐々に増えているようです。それはそうでしょうね。でなければ、今までの対策は何だったのか?ってなことになるかもしれません。

 さてこの間、皆様はどのようにお暮らしだったでしょうか。我が家の場合は、すでに退職した私と老齢のお袋さんとの2人暮らしですので、コロナ禍で特に変わった生活をしていたわけではありません。買い物や外食の際、マスクを着用していたくらいです。確かに、アクリル板やビニールの幕が鬱陶しいことはありましたけどね。

 特に可愛そうだったのは、児童や学生さん達だったのかもしれません。運動会や学園祭、修学旅行さえできなかったという話を聞きます。折角入学した大学の講義さえリモートではねぇ。また大学祭の実行委員は3年生が中心になるわけで、自分自身が体験していないイベントを企画するわけですから、さぞや大変だったと思います。

 かつての日常が返ってきたと言われますけど、やはりどこか少し変わったような気もします。天然痘のようにコロナを撲滅に追い込んだわけではありません。うまく付き合っていくいうことでしょうか?ワクチンも無料で接種できるのはも今年度までとか。我が家では93歳のお袋さんは勿論、年齢にはちょっと足りない私も、ステントを心臓に入れていると言うことで、先日申請して打ってきました。まぁ、有料になったら打たないかもなぁ。

 ところで、世は短歌ブームだそうです。最近は短歌をSNSで呟く人が多くなったとのことで、NHKでも特集番組が組まれました。その中に次のような短歌がありました。

       コロナ後の
       世界をしっかり見ておけと
       喪中はがきが送られてくる  救急医 犬飼楓 

 数多くの短歌が紹介されましたが、これが心に響きました。
 コロナ後の世界は、どうなるのでしょうか。

 ところで、「ショック・ドクトリン」という言葉をご存じでしょうか?かく言う私自身も、Eテレの100分de名著(講師は、国際ジャーナリストの堤未果)で初めて知りました。

 「ショック・ドクトリン」は、作者であるカナダ出身のナオミ・クラインによる造語です。意味するところは、「危機に便乗して過激な新自由主義を強引にねじ込む戦略」とのことです。危機とは、例えば、テロ、大災害、そしてパンデミックなどが挙げられます。その思想の原点となるのが、ミルトン・フリードマンの理論とのこと。
 フリードマンと言えば、私が学生時代によく読んでいた「新自由主義」の親分みたいなノーベル賞受賞経済学者です。そんな私が公務員をしていたとは皮肉でありますが、まぁ、それはそれとして、彼の理論は、簡単に言えば、市場原理主義、市場至上主義でしょう。

 ただ、キケンなのは、激しいショックで社会が麻痺しているときこそ、「純粋な資本主義の状態」に戻すことができる。つまり、普通では通らないようなことに、簡単に大衆がこぞって同意してしまう。と言うことですね。それが行きすぎればどうなるか。当然、一部の人間が大儲けをし、貧富の差が拡大してしまうのは必定となります。現在の状況は、そうなっていないか?というわけです。

 ナオミ・クラインの著作はかなりのボリュームでありますので、取りあえずは、100分de名著のテキストをじっくり再読し、堤未果女史の著作にも触れてみたいと思っています。 

(ねむり姫 64歳)