あれから10年たちました

令和3年8月〜12月ネット上にて公表 

(令和3年3月11日ブログを加筆修正)

 10年前の3月11日、何曜日だった覚えていますか?

 私は鮮明に覚えています。というのも、その年の3月をもって、私は当時勤めていた愛知県を早期退職することになっていました。そしてその日は、同じ出身大学の県職員が集まる年に一度の大宴会の日でありまして、職員が県下全域から集まる関係上、金曜日の夜に開催することが通例でありました。

 私はその日、午後から半休をとって家に戻り、夜から始まる送別会を兼ねた大宴会に備えて、のんびりテレビを見ていました。その時突然「緊急地震速報」の一報がはいり、ずいぶんしばらくしてから、我が街春日井も揺れました。震度3ではありましたが、かなり長い間、ゆらゆらと揺れていたように記憶しております。その時は東北の被害がどの程度かは分からず、大宴会も予定どおり開催され、宴会中も、なんか東北の方は大変らしいぞと話す程度でありました。たしか私はその日はハシゴ酒の末、終電で帰ってきたと思います。

 未曾有の大災害であると把握したのは、次の日の朝になってからでした。その日以降、私の日記は、自分自身のことではなく、刻々と報道される東北の現状や原発事故の状況で埋まっていくことになります。被災した皆さんは、今日まで大変なご苦労をされたことでしょう。あれから10年。特に今年は様々な特番が組まれ、特集記事が一時期紙面を賑わせましたが、コロナの方が喫緊の課題なのか、いつの間にか忘れ去られた感があります。復興五輪といっていたオリンピックも、コロナに打ち勝った証とすり替わってしまったのも、なんだかな〜と思います。

 災害はいつやってくるか判らない、このことは忘れがちになってしまいますが、日々の生活に追われている間に、徐々に記憶が薄れていくのは仕方のないことかもしれません。そんな中、ささやかながらも私がこの災害を忘れないでいるために行っていることがあります。しょうもないと思われるかもしれませんが、それは、朝ドラ「あまちゃん」を見ることであります。

 まだ仕事をしている頃に放送されたドラマですので、定刻の放送では見ることは出来ないはずです。今となっては、なにがきっかけで見始めたのかは定かではないのですが、途中から録画して毎日見ていた覚えがあります。その時に、なにか心に響くものがあったのでしょう。後に再放送があった時に全話を録画しました。そして今でも、毎日1話ずつ見返し、第156話の最終回を見た後は、2013年の紅白歌合戦(これも録画)における、続編の寸劇と、潮騒のメモリーズ、天野春子(とテロップで紹介された小泉今日子)、鈴鹿ひろ美(とテロップで紹介された薬師丸ひろ子)の歌を聴くというローテーションを繰り返しています。もう何回見返したかなぁ。ほとんどセリフも覚えているくらいです。

 ヒロインは、当時能年玲奈と名乗っていた「のん」で、岩手と東京を舞台に震災を挟んで、地味で暗くて、向上心も協調性も存在感も個性も花もない少女の成長と、家族再生を描いたドラマでしたが、改めて何度も見返すと、家族は勿論、友人知人達とのかけがいのない絆、郷土への愛着、そして歌い継がれていくメモリーを、ユーモアを交えて描いた群像劇でありました。ラストシーンは、暗いトンネルをヒロインと橋本愛演じる親友が歌いながら駆け抜け、トンネルから希望を持って飛び出し、堤防を海に向かって走るシーンで終わりました。

 人生何が起こるかは、わかりません。今コロナ禍の中、絆が大切といっても、友人達と触れあうことも出来ません。それでもいつか、トンネルを抜けることが出来るでしょう。それまでは我慢と忍耐。そして、自粛期間中に悟りましたよね。宮沢賢治が言う「いつも静かに笑っている」ように生きていくには、それなりに日頃からの覚悟が必要なのです。時にはウシロを振り返りながらも前を向いて歩き続けていくことが大切です。

ぼ〜と生きていては、誰かさんに叱られますからね。

(ねむり姫 62歳)