高齢者の自動車運転について考えてみる

令和元年7月〜12月ネット上にて公表 

  最近、どうしようもない悲惨な事件、事故が世間を賑わすことが多くなりました。悲しいことであります。

 そんな中、今年還暦となった私にとっての関心事は、自分がいつまで車の運転が可能であるか、と言うことです。高齢者の定義は明確なモノはないそうですが、一般には60〜65歳以上の人を言うそうな。私自身も、視力も運動能力も、そして記憶力も劣ってきたことは否めません。

 先日、車を買い換えました。今の車は、色々なセンサーやモニターをつけることができ、安全に最大限の配慮ができるようになりました。

 購入する際に、ディーラーの方との雑談の中で、こんな話をしました。
 「そのうち自動運転が普通になる時代が来るよねぇ。」と私が言うと、「全ての車がそうなれば、それは安全になるでしょうね。」と言われました。「でも、そうなると運転するという楽しみはなくなるよね。」「そうですよね。」「となれば、単なる下駄がわり。靴履くのと同じになるのかなぁ。」「そうかもしれませんねぇ。」

 いつか、そんな時代が来るのでしょうか?だけど、草履がわりが普通となると、自動車産業も衰退するかもしれませんね。その一方、完全に自動化されると、やはり不安ですよねぇ。

 AI制御となれば、「私、失敗しませんから」となるのでしょう。しかし、何らかの誤操作や故障ではなく、全てのデータを踏まえAIは正しい選択をしました。にもかかわらず事故は発生しました。などというケースが生じないとは言えませんよね。そんな場合、責任者不在となりませんか?
 ディープランニングで構築されたAIが出した答えに、人間が「それは違います。」という答えを返せるのかなぁ。それに、事故を起こした車の所有者に責任がないとなっても、そんな車に乗っていたらトラウマになるでしょう。

 一方、公共交通機関がないから、車が手放せないという話もよく聞きます。ある程度の田舎ならば、確かにそうでしょう。でも、街中でも、便利な交通機関がないということもありますよね。
 
 昔、某施設の運営に関わっていたことがありました。そこで開催される某フェスティバルの打ち合わせの際、某私鉄バスの担当者の方に、これまた雑談の中で、こんな話を聞きました。

 高度成長に伴いモータリーゼーションの波が押し寄せたとき、多くの人が自家用車を持つようになって、路線バスを使わなくなった。それは、ある程度の大きさの都市でも、割に多くあった話である。それで採算がとれなくなって廃線となったところも多い。それが今になって、歳をとって車に乗れなくなったから、バスを走らせてくれと言われても、なかなか難しいのが現状なのだ。

 確かにそうなのかもしれません。公共交通機関というモノは、住民も一緒ににって育てていくモノかもしれませんね。

 私自身は、学生時代に免許は取りましたが、特に車の運転が好きなわけではありません。車庫入れはいまだに苦手だし、車でしか行けない場所、車の方が便利な場所に、仕方なく乗っていくというのがホンネの所です。

 とはいえ、やはり便利は便利ですよね。食料品の買い出しだって、楽ですものねぇ。

 どの段階で免許を返上するか。一律に年齢で線を引くことは難しいでしょう。暴走やあおり運転、さらに、いまだなくならない飲酒運転の方がよほど危ないことも事実です。

 私自身は、その時が来たら、潔く決断したいと思ってはいるのですが。。。


(ねむり姫 60歳)