映 画 の 記 憶

平成26年7月〜12月ネット上にて公表 

 私は、チャイコフスキーが大好きです。これは、小学生の頃見た世界初のステレオ録音映画「ファンタジア」がものすごく影響していると思っています。
 年に一度か二度の贅沢だったとは思うのですが、子供の頃は、親父とお袋と妹と家族4人揃って映画館に行きました。東映マンガ祭りや、すでに正義の味方だったゴジラやザ・ピーナッツが活躍するモスラ等の怪獣映画、そうそう大映はガメラでしたねぇ。そんな中、おそらく「ファンタジア」とか、ウィーン少年合唱団を描いた「青きドナウ」等は、親主導で見に行ったのでしょう。でも、その「ファンタジア」の影響で、その頃、家にステレオもないのに「くるみ割り人形」のレコードを買ってもらい、親戚の家に持って行っては聞いていた想い出があります。
 一方、映画館ではなく、子供会か何かの上映会で、たぶん区役所かどこかの会議室だったと思いますが、「小さな逃亡者」というタイトルの映画を見た記憶がありました。

 ストーリーは定かではないのですが、この、うろ覚えのタイトルと、宇野重吉が酒を飲みながら、ネクタイで口を拭うという何度も出てきた居酒屋のシーン。そして、主人公の少年が、旅先で願い事をする度、一つずつおいていくマトリョーシカ。これが子供の私にはとても印象的だったらしく、たった一度しか見たことのない映画なのに、ず〜と心に残っていました。
 ところが先日、ケーブルテレビの番組表の中に「小さい逃亡者」というタイトルを発見。「小さい」と「小さな」と、ちょっと違うけど、出演者の中に宇野重吉もいるし、ひょっとしてと思って見てみると、な〜んとこれがビンゴ!ずばり、昔見たその映画だったのです。何かずっと探していた宝物をやっと見つけたといった感じでした。

 1966年公開、日本とソ連の初めての合作映画、日本側の監督は、名匠衣笠貞之助。少年が父を訪ねて、言葉も通じないソビエトをたった一人で旅をするという、美しい風景と国境を越えた友情の物語でした。

 実は、私がクラシック音楽を本格的に聴き始めたのは、小遣いを貯めに貯めて初めて買ったステレオが、我が家に来た高校生の頃です。それまでは、ラジカセで歌謡曲やフォークばかり聞いていました。で、そんな中で、チャイコフスキーの作品もよく聞いたわけですが、初めて「ヴァイオリン協奏曲」を全曲通して聞いたとき、何か不思議な感覚がしたのを覚えています。これ初めてじゃないなぁと…。

 勿論、超有名な曲で、最近の映画でも「北京ヴァイオリン」や「ザ・オーケストラ」等々、全面にこの曲をフューチャーしている映画は数多くありますし、そのフレーズを聴いたことがあっても何も不思議ではありません。
 ところがところが、なんとその不思議な感覚の理由がわかったのです。というのも、まさにこの「小さい逃亡者」のエンディング、クライマックスシーンで使われていた曲がこれだったのです。

 映画の中では、主人公がモスクワに着いた時、すでにお父さんは亡くなっており、その後色々な人の手助けを得て、ヴァイオリンニストとして大成した彼が、日本に凱旋公演を果たすシーンでクライマックスを迎えます。その時に演奏されるのが、まさしくチャイコフスキーのバイオリン協奏曲だったのです。私は一人、テレビ画面を見ながら、叔父役の宇野重吉と共に、この再会に再び涙いたしましたよ。

 別にこの映画を小学生の頃見たからと言って、人生が変わったわけでも何でもありません。でも、ちょこっとは人生が豊かになったことは間違いがないでしょう。
 家でテレビを見るのは日常生活の娯楽の一部に過ぎないのかもしれませんが、映画館に足を運んで、とりあえず日常から隔離された状態で集中して見ることになる映画というものは、やっぱり素晴らしいなと、本当にいいものだなぁと、改めて思うのであります。

 勿論、何もコレは映画に限ったことではありません。小説でも音楽でも絵画でも同じだと思います。ただ言えることは、そんな一品は誰かからの押しつけではなく、自分自身で見つけなければいけないということ。それには、幼い頃から色々なモノに数多く触れることが大切なのかもしれません。

 それにしても、映画に関して言えば、最近本編の前の宣伝を見ていると、やたら地球が滅亡したり、はびこった巨悪に対抗するという内容が多いんだよね。な〜んか、そういうのは夢がないんだなぁ。だから、アナと雪の女王に人が集まるのは、よくわかる気がするのですよ。


(ねむり姫 55歳)