「政治家辞めます」を読みました

平成22年7月〜12月ネット上にて公表 

 最近、政治の世界がワタワタしていますね。
これだけ総理大臣がコロコロ変わっても、日本という国が何ともないのは、やっぱりなんやかんやいっても、官僚機構がしっかりしているからなんでしょうか。

 最近、小林照幸という人が書いた「政治家やめます。−ある国会議員の十年間」という本を読みました。
 
 政治の世界の流れというか、戦後日本政界の系譜を描いた物に、「小説吉田学校」ってのがあります。また、角栄とかの大物政治家の暴露本って程ではないにせよ、現役時代には言えなかったことなんかを明かした回顧録みたいなものも結構あります。

 でも、この「政治家やめます。」ってのは、それらのどの本とも、ちょっとちがうんですね。

 主人公は、久野統一郎。全国的に有名かどうかはわかりませんが、実在の元代議士です。

 実は、そのお父さんの久野忠治の時代から平成8年まで、私の住んでいる春日井市は、愛知2区と呼ばれ、久野氏の住む知多市と同じ選挙区でありました。だから、久野忠治、久野統一郎の名は、よ〜く知っています。

 この本は、久野統一郎が初当選した平成2年から平成12年までを描いています。勿論、ドキュメンタリーですから、実在の政治家が実名でバンバンでてきます。そして、地方選挙や市長選挙は勿論、県議会の選挙を応援する件では、私自身がよく存じ上げている議員さん達も沢山登場いたします。

 今も激動の時代のまっただ中かも知れませんが、この本の中で描かれている10年間も実に様々なことがありました。55年体制の崩壊、地下鉄サリンに阪神・淡路大震災、そして、この地方で言えば、中部国際空港や万博の誘致等々。
 そんな時代を、親父さんの策略?によって、はからずも不本意ながら、サラリーマンを辞めてまでして、2世議員となってしまった1人の男が、悩んだり躓いたりしたあげく、結局「政治家やめます。」と宣言するまでが描かれています。

 この本は、ご自分で書かれた手記ではないってところがミソて゜、そのために、この手の本にありがちな、「私はこんなことをやってきました。」とか「こんなに苦労したんですよ。」的な自画自賛の回想録にはなっておらず、逆に、よくこんなことを書くの許したなぁ、というような、ある意味、恥じになるかもしれないような心情までが、結構赤裸々に明かされています。

 これを読むと、なぜ2世議員ばかりが多いのか、そして、なぜ選挙に金がかかるのがが見えてきます。そして、辞めるのも、とんでもなく大変だということがわかります。

 また、献金をもらうのが悪いのならば、ボランティアとして団体が(建前は個人かも知れませんが)選挙運動を手伝うのもおかしいのではないか、という指摘は、結構、目から鱗でした。言われてみれば、そうかも知れません。

 で、結局の処、なぜ久野統一郎は、議員を辞めたのか。それは、はっきり言って嫌気がさしたからなのです。

 日本という国は、世界的に見ても、決して知的レベルが低い国民ではないはずです。なんせ、自書記名式という、支持する候補者の名前を実際に書いて投票する国は、日本だけと言います。つまり、国民すべてが、公用語で、字が書けるということですよね。にもかかわらず、いつまでたっても政治がおかしいのは、政治家が悪いのか、選挙民が悪いのか?

 今回の参議院選挙の結果、世の中がどうなっていくのかわかりませんが、自分の人生を犠牲にしてまで、国のために奔走しようという人間は、もう出てこないのかも知れません。坂本龍馬など、あの時代の人々に注目が集まるのも、わかる気がします。

 でも、そこまでの気概が無くとも、この久野統一郎氏のような人が、別に私は自民党支持者じゃありませんけど、もう議員なんかやれない、やってられないと感じるような世界は、やっぱりヘンな世界だと思うわけです。ハイ。

(ねむり姫 51歳)