自殺、もしくは命について

平成16年7月〜12月ネット上にて公表

 

この4月から5月にかけてのNHK人間講座では、五木寛之が講師となって、「いまを生きるちから」という講義が放送されました。

 その冒頭、いきなり示されたのが、日本人の自殺者数が、平成10年から5年連続して3万人をこえているというデータでした。

 3万人という数だけでは、ピンと来ませんが、これは、春、夏、秋、冬と年に4回、阪神淡路大震災以上の災害が襲ってきていると考えてよい数字であり、かの十数年におよぶベトナム戦争でアメリカが失ったアメリカ人の命でさえ、約6万人前後と言われている、などと説明されると、ちょっと待てよという感じになります。

 ためしに、警察庁のホームページを覗いてみると、平成14年の32,143人の自殺者の内、60歳以上は、11,119人で、全体の34.6%を占めています。50歳以上となると、60%以上の19,581人。また、興味深いことに、男性は、23,080人で、何と7割以上を占めています。

 別の資料によれば、自殺者数と失業率には相関関係があるとのデータも出ているようですが、60歳以上が3割以上を占めていることを考えると、それだけが原因とは言い切れないでしょう。

 五木寛之は言います。「空襲警報も鳴らず、爆弾も落ちない平和な時代のかげで、見えない戦争が続いているのではないか、と考えざるを得ない。それをこころの戦争、インナー・ウォーと行っても良いのではないか。」と。

 五木寛之の講義は、「心が渇いている」のが原因であるとして、そこから話が展開し、それはそれでとても興味深いものではありました。とはいえ、60歳以上が自殺者の3割以上というのは、ちょっと、ウ〜ンと考えてしまいます。
 勿論、その原因は、様々なのでしょうが、リストラ等の経済的理由や健康上の理由ばかりではないと考えざるを得ないのではないでしょうか。

 一方、中部電力が年に2回、無料で配布している広報雑誌「交流」の最新版、No.62に興味深い対談が掲載されていました。
 それは、フランス文学者の石井洋二郎と池田理代子が、「成熟社会のライフデザイン」というテーマで話し合ったものでした。

 「人生は一本の線ではない。球のようにひろがっていくのが成熟だ。」という石井洋二郎に対し、漫画家として名声を博していたにもかかわらず、47歳で普通の受験生として音楽大学に入った池田理代子との対談は、四捨五入すると50歳となってしまう私にとっては示唆に富んだものでした。

 どうも男性よりも女性の方が、人生の節目を感じるのに敏感なようなのです。
 男の40代から50代というのは、そりゃ確かに若いときに比べ体力も気力も衰えてくるかもしれませんが、それは徐々に感じることで、劇的な変化はありません。これに対し、女性は違うらしいのです。

 池田理代子はこう言います。「女性の場合、ちょうどその年齢は閉経と更年期障害がセットでやってきます。だから、折り返し地点が非常にわかりやすいんですね。男性ですと、40代から50代は社会的な地位もできてきて、社会の第一線で活躍できる我が世の春という感じではないでしょうか。偉いポストについて、それが永遠に続くかのように思ってしまう男性が多いのではないかと思います。」

 誰もあなたの人格に対して頭を下げているのではなく、あなたの地位と肩書きに頭を下げているのです。だから、地位も肩書きもなくなって、そして、あなたに人として魅力がないならば人は離れていきます。というのは、自明の理でありながら、あまり普段は自覚できないものなのでしょうね。

 だからこそ多面的な生き方をしないと、これからの成熟社会を生きてはいけないよ。というのが、この対談の結論だったのですが、だからといって、私のように、30歳から、50歳退職を目標にライフデザインを描いてしまうと、逃してしまったものも大きくなってしまってマズイ気がしますが。。。

 しかし、いずれにせよ、自殺は、自分を殺すことですから、殺人行為には間違いありません。養老孟司の「死の壁」には、あまり自殺については言及されていませんが、なぜ、人を殺していけないか、の答えは、簡単かつ明瞭に書かれています。

 三味線漫談の玉川オスミ師匠が、毎回エンディングで言うように、命は、大事に使えば、一生持ちます。
 掛け替えのないものです。
 大切にしましょうよ。ね。 

(ねむり姫 45歳)