年の初めに(地獄と極楽)

平成14年1月〜7月ネット上にて公表

 21世紀の最初の年であり、夢と希望の幕開けになるはずだった2001年は、とんでもない年になってしまいました。それにしても、2001年を象徴する漢字が「戦」とはあまりに情けないではないですか。力が歴史を動かす時代は、とうに去ったはずです。あまりに前近代的なことに、エネルギーを費やしていると思わざるを得ません。

 勿論テロは憎むべき事に違いありませんが、その根底はユダヤVSアラブであることは、みんなが知っています。その解決を図らずして真の平和は訪れないのでしょうが、それが簡単な問題ならば、いつか集結していますよね。

 聞くところによれば、イスラエルの人口よりも、アメリカに住むユダヤ人と呼ばれる人の数の方が多いそうです。だから、アメリカ大統領は任期切れ間近な時期には、アラブ寄りの政策が採れるが、そうでない時は、ユダヤ人の顔色を伺いつつ施策を進めざるを得ないとも言われています。

 そもそも、こういった場合に使われる「民族」という言葉を明確に定義することはできません。あるのは、人種的、地域的起原が同じであるという共同幻想。つまり、所詮は、所謂同族意識でしかないのです。
 とは言え、普段は、宗教や民族というものをまったく意識していない日本人である私には判らない問題であることだけは、確かなようです。
 それにしても、民族の同族意識があるのならば、同じ人類という意識が芽生えてもよさそうなもんだとは思います。

 地獄と極楽を表した話にこんなのがあります。
 
 ある人が、地獄と極楽を見学に行った。まず、地獄へ着くと、血の池や針の山も無ければ、閻魔様もいない。立派な部屋に料理がいっぱい並んでいて、自由に食べられるようになっている。ところが中にいる人は皆、空腹で泣いている。見れば、手首を縛られた状態で、長い長い箸を持たされている。この長い長い箸の為に、争って摘んで食べようとしても、箸が長すぎて背中の方まで行ってしまい、口に運ぶことが出来ない。目の前にご馳走がありながら、ちっとも食べられないのだから、まさに地獄。

 次に極楽へ行ってみた。ところがここも、さっきと全く同じで、手首を縛られ、長い箸。にも関わらず、皆お腹いっぱいでにこにこしている。不思議に思っていると、極楽では、自分が食べなくても、お互いが食べさせ合っていた。だから満腹で和気合い合い。なる程、これが極楽なのだ。

 なんか、地獄と極楽は紙一重。しかし、とても簡単に切り替わることができるのだと思いませんか。

 2002年は、「和」という漢字で象徴されるような年になるといいなと思います。

 ところで、話が飛びますが、日本はユダヤと浅からぬ因縁がある、と言われています。何故、第二次大戦中、当時第3の大都市であった京都が、無傷でくぐり抜けることが出来たのか。

 桓武天皇の鳴くよウグイス平安京の時代、遷都の莫大な費用は秦氏が賄ったとのこと。京都盆地は秦氏の勢力圏であり、秦氏の本拠地は太秦でした。太秦は日本ではウズマサと読みますが、中国では太秦国と言えば、ユダヤを指します。平安京はユダヤの最盛期の都であるソロモンを模して作られたとも言われ、ソロモンとは平安という意味です。また、祇園はシオンがなまったもの、シオンはユダヤの別名でシオニズムと言えば、ユダヤ主義のこと。現に祇園祭には古代ユダヤの風習が色濃く残っていると言います。さらに、天皇家の祖先という天照大神を祭る伊勢神宮の石灯籠には、ダビデの紋章であるカゴメ紋が刻んであります。
 とまあ、この手の話のネタは沢山あります。それはまた次の機会にということで・・・。

 難しいことは抜きにして、歴史の謎というものは、興味が尽きません。

(ねむり姫 43歳)