I T 革 命 と 人 間 関 係

平成12年8月〜9月ネット上にて公表

 最近、IT革命なんていう言葉をよく耳にします。沖縄サミットでも中心的話題になりました。
 21世紀は、どんな世界になるのか、楽しみでもあり、空恐ろしくもあるわけですが、便利になるに従って、人間の本質的なものさえ変化してしまうのは、ちょっと問題があるんじゃないかと思います。

 作詞家の阿久悠氏は、「豊かな生活のための、システムや道具は、人間から情感を奪っていく、そのつもりでなくとも、結果的にそうなる。」と、述べておられます。

 また、こんな人間ウォッチングもあります。
 (以下は阿久悠氏の観察)


 従来のコード付きの電話と、コードレスの電話と、携帯電話とでは、同じ人間が全く違う態度、しゃべり方、言葉の選び方をするものだと気がつきます。

 コード付きの電話の時は、姿勢も正しく、あたかも、話し相手が目の前にいるかのように、頭を下げ、うなづきもし、時に深々と一礼すらします。言葉も謙譲語を主として、時々、話し方の技術として笑い声を挟んだりします。正しい伝達と礼儀を重んじた上でのコミュニケーションがそこにあります。

 これがコードレス電話となると、やや違ってきます。どういうわけか席を立ち、まるで条件反射のように、あるいは、コードに拘束されていないことを確認するように歩き回ります。ただし、コードが無いにも拘わらず、完全な自由は感じていないようで、歩く距離はたかがしれています。グルグルとか、ウロウロという程度です。そして、歩きながらの話し方ですから、コード付きの電話に比べてややリラックス、言い換えるとぞんざいさが加わり、砕けた日常語になります。

 そして、携帯電話です。これは全く開放されます。電話に対するある種の恐れや緊張と言ったものは全くなく、話す態度すら横柄この上なくなります。そりかえって、顎をあげ、誰に対しても「友達以下」の話し方をするところが不思議です。私は特殊な開放感の上での言語を「ケータイ言語」と書いたことがありますが、やがて彼らは、ケータイを使わないときも、この言語で話しかけてくるかもしれません。
(阿久悠 NHK人間講座「歌謡曲って何だろう」 第8回汽車の窓と感傷の変化 より引用)


 
便利になる=豊かになる ではないことは、我々はすでに気が付いています。でも、今更、太古の昔の生活に戻ることが出来ないことも、これまた、よく解っています。
 人間性を失わず、真の意味で、豊かになるためには、そうとうな努力が必要なのかも知れません。これは、ひょっとすると、新しい道具やシステムを使いこなすことよりも、もっともっと、大変なことでしょう。

 とりあえず、いかに情報端末からあふれでる情報に取り囲まれても、そして、いかに便利な道具に囲まれていても、いや、だからこそ、必要以上に、人と人との生のふれあいを大切にしなければならないのかもしれません。


 先日、我が街の生涯学習講座で、メディアプロデューサーの酒井政利氏の講演を聴いてきました。
 その講演は、「人間関係は49対51の精神で…。」というのが〆の言葉でした。人と接するとき、自分がどんな立場であったとしても、尊大になってはならないし、ましてや、卑屈になっても本当に良い関係にはなれない。というわけです。

 対等な関係の中にも、ちょっとだけ、相手を思いやる気持ち。これが大切であり、それが49対51の精神なのだと思います。
 とは、言っても、これも難しいことですよね。

(ねむり姫41歳)