石 の 斧 と 鉄 の 斧

平成12年6月〜7月ネット上にて公表

 先頃、セイコーが行ったアンケート調査によれば、20世紀をイメージする漢字1文字の第1位は、「忙」でありました。
 そこで今回は、これをテーマについて書いてみたいと思います。 

 石の斧と鉄の斧の比較研究をした人がおりまして、その研究によると、鉄の斧は石の斧の4倍の効率があるということだそうです。つまり、石の斧で1日に5本の木を切っていたとします。8時間労働としましょうか。それに対して鉄の斧は5本の木を2時間で切ることということで、ここに6時間の余暇時間が生まれます。これが問題となるわけです。

 太平洋の島々では、19世紀から20世紀にかけて、石から鉄への変換があったそうで、その研究報告によりますと、たとへば、パプア・ニューギニアのある部族では、鉄の斧によって余った時間を、儀式と宴会に費やしたそうです。それも、他の部族との宴会が中心だったと言います。このために、宴会料理に使うブタが乱獲されて激減したと記録にあります。(豪、ソルスベリー)


 この催しが原始宗教に根付くものか、あるいはパラパラ踊りの類だったのかは手元の資料からはよくわかりませんが、とにかく、宴会をすることによって、他国との交流にあてたことは間違いありません。
 また、もう一つの例として、オーストラリアのある部族では、鉄の斧によって生まれた余暇時間を、ただ寝ることに使ったそうです。
(以上、佐原眞著「日本文化を掘る」を元に解りやすくアレンジ)

 といっても人間そうそう睡眠はできませんから、たぶん、身体を横にして物思いにふけっていたと考えた方が正しいと思います。これは、哲学の芽生え、自我の形成、ポリシーの確立につながるのかもしれません。


 さて、我が日本はどうだったのでしょうか。
 日本の古代史というと、マニアックな方が多いので、ヘタなことは言えませんが、おそらく、石の斧から鉄の斧へのような転換期に日本人がどのように対処したかは、マニアや考古学者でなくとも、容易に想像つきますよね。
 たぶん、鉄の斧で8時間フルに働いたのでしょう。


 日本の場合、古代国家成立を奈良時代ととらえたとしても、農耕が始まってからわずか1000年を経過しない内に到達しています。実はこれは世界史上とんでもない超スピードです。普通は数千年、早い方のエジプトでさえ1500年です。これは、余暇時間もモクモクと働き続けた結果なのかもしれません。

 と、いうことを考えると、明治以降の急速な近代化、第二次世界大戦以降の急速な復興というのは、みーんな、祖先から引き継いだDNAのなせる技、遺伝子上の記憶のせいだと言えるのかもしれません。


 ただ、その一方、ニューギニアのある部族が持っている、他の部族、他の国との交流ノウハウが、我々のDNAにはインプットされていませんし、オーストラリアのある部族が知らず知らず訓練している哲学的思考については、日本人はあまりにお粗末であり、よく、諸外国からそのポリシーのなさを指摘されています。

 ここまで考えてくると、「忙」「忙」で突っ走ってきた20世紀に対し、21世紀の方向が自ずと見えてくる気がします。
 物質文明、消費生活社会に日本が率先して「おさらば」を宣言する勇気が必要なのかも知れません。

 なんてことを書くと、石の斧でも鉄の斧でも良いから、それを振るフィールドを与えて欲しい!という叫びが聞こえてきそうです。

 万人が幸せになれる世界への道は、遠く、けわしく、そして難しいですね。

(ねむり姫 41歳)