21世紀への使命

平成10年1月26日 職場における「朝のあいさつ」の原稿

 おはようございます。
 今日の話のネタは、私が毎年受講しています、春日井市の生涯学習講座の中で、昨年仕入れたものです。

 日本の昔話の大抵のパターンは、正直者と意地悪者、というか、悪玉が出てきて、正直者が苦労しながら、あーだ、こーだ、があって、ラストに悪玉が滅びて、善人は、大判小判が、ざーく、ざーく。あるいは、長者さまになって、なに不自由なく暮らしましたとさ。というものが多いですよね。だから、苦労してでも正直に生きていれば、大判小判がザーク、ザークとなって、幸せになれますよと、小さい頃から、教えられてきて、何の違和感もないのですけれど、ところが、アイヌ民族の方の昔話のラストのパターンはこうではないというのです。

 悪玉が滅びるのは同じなのですが、善人は、大金持ちになるのではなく、「何も欲しいとも、何を食べたいとも思わなくなりましたとさ。」で終ると言うのです。つまり、大金持ちになるのが、一番の幸せではなく、すべての、欲望から抜けでることが、一番の幸せであると考えていたようなのです。ほんまかいな、と思って、本屋でアイヌの童話集を立読したところ、すべてとは言いませんが、たしかに、この欲望からの解脱で終っている話が多いことは事実です。これは、一つには、アイヌには貨幣がなかった、ということがあるのですが、このアイヌの民話のラストシーンこそが、これからの我々の進む道を示唆していると言えるのではないかと、いうわけです。

 つまり、先進国が、今までの価値観を変えない限り、人類すべてが幸せにはなれません。たとえば、これも、受け売りですが、中国の人全員が、毎朝、1個卵を食べるとしたら、10億個の卵が必要になります。その卵を生ませる鶏を飼うための餌は、カナダ1国の穀物生産量に匹敵します。こりゃ、もー、どうしようもないですよね。

 「何も欲しいとも、何を食べたいとも思わなくる。」ってのは、不可能でしょうが、物を大切にするとか、最小限のもので満足をし、精神的に、充足感を味わう工夫が必要であることだけは、確かなようです。でも、これでは、景気は、絶対に上向きにはならないことも、確かです。社会主義、自由主義、のどちらでもない、新しい経済システム、あるいは、新しい社会構造を造りあげるのが、21世紀の我々の使命なのかもしれません。

 少なくとも、大きなイベントや、でかいプロジェクトをして、一時的に豊かになったと錯覚して喜んでいることは、時代に逆行していると私は思いますが、いかがなもんでしょうか。以上です。

(ねむり姫 39歳)