ラストシーンは日本晴れ

平成21年1月〜6月ネット上にて公表

  2008年は、私の人生に多大な影響を与えた「男はつらいよ」、フーテンの寅さんが誕生して40周年でした。
 私が封切りを見に行きだしたのは、学生だった昭和53年以降ですけど、すでに20作目を超えてますので、たぶん見に来ている人は、ファンの人か、ファンに連れられてきた人なんですね。つまり、映画館は、そんな人たちが盆と正月に集うという一大イベント会場になっているわけです。そうなると、不思議な雰囲気になるんです。

 館内が暗くなる前から、客席全体には、「これから楽しむぞー」といった感じが漂い、映画がいざ始まって、笑えるシーンでは、一人で笑っているんじゃなくて、隣の人と肩をたたき合って笑うている感じがして、そして、見終わった後は、「あー面白かった。ご飯食べにいこか?」といった感じの、とってもなごやかな感じが漂うわけですよ。映画館を出る時の観客のあの笑顔は、他の映画にはまったくないもので、もうこんな映画はたぶん生まれないと思います。

 ストーリーは毎回、似たようなもので、寅さんが旅先からふらっと柴又へ帰ってきて、なんらかの騒動があって、失恋したり、時には自分から身を引いたりして、また、ふらっと旅立つというものですが、そこで語られるエピソードには、寅さんの、というより、山田洋次の人生哲学といったものが色濃く反映されています。これに、私は、共鳴し、かなり感化されてきました。まぁ、それでファンクラブにも所属し、リバイバル上映があれば、あしげしく映画館へ通ったおかげで、スクリーンで見ていないのは、48作中3作だけとなってます。一つ一つの台詞が良いんですね。吟味されていて…。
 渥美清の一人語り、寅のアリアとよばれているものは勿論、「人間は何のために生きているのか」なんていう大命題にも寅は答えてくれます。(第39作寅次郎物語)
 また、映画に挿入される各ロケ地の映像は、単なる景色を写しているのではなく、それが、山里のシーンであろうが、海のシーンであろうが、必ず人がそこに生活していることを感じさせる風景の描写となっていて、それが時代時代の日本を表す貴重な記録ともなっています。

 そして何よりもかによりも、どんなに手痛い失恋をしても、ラストシーンは必ず、日本晴れの青空のシーンで、エンドマークが出るお約束になってます。これがいいんですね。

 話がかわりますが、アメリカにグランマ・モーゼス、モーゼスおばあちゃんという画家がいました。原田泰治みたいな素朴な絵を描く人ですが、この人、貧しいながらも苦労して子供達をそだて、老後の楽しみとして75歳から絵を描き始めて100何歳で死ぬまで、1500点以上の絵を描いたとそうです。で、101歳の時だったかな、最後に書いた作品は、虹がかかる空の元、笑顔溢れる幸せいっぱいの人々の様子を描いたというもので、タイトルはずばり「虹」というものでした。

 もし、人生のラストシーンが、日本晴れだったり、美しい虹が架かったりしたら、本当にすばらしいですよね。と、2009年2月に50歳となる私もかくありたいと思う、今日この頃なのであります。
 そういえば、ALWAYS三丁目の夕日は、二作とも輝くような夕焼けのシーンでした。そんなラストに、あやかりたや、あやかりたや。
 
◆追 伸
  2008年1月からMIXYにページを開設しました。そこには、各月毎に読んだ本、見に行った映画、見に行った展覧会を羅列しています。ご覧になりたい方は、検索する際、ニックネーム「くっちゃね村の眠り姫」で捜してみて下さい。「ねむり姫」が字数制限の関係で「眠り姫」になっていますのであしからず。
 なお、ソーシャルネットワークMIXYは、2009年の春には誰でもアクセスできるようになるとのことですが、今のところ、既に会員である人の紹介がないかぎり、アクセスできませんので、よろしく!

  ところで、今年は「となりのトトロ」が上映されて20年になるそうです。そういえば、あの映画のキャッチフレーズは、「忘れ物を届けにきました」でした。「忘れ物」なら届けてくれるかもしれませんが、失った物は戻ってきません。「忘れ物」として記憶の中に保管されているのうちに何とかしないと。。。。

(ねむり姫 50歳)