環境問題について考える

平成20年7月〜12月ネット上にて公表

 最近、環境問題とか地球温暖化防止とか、よく話題に上りますよね。マスコミ論調も、危機をあおるようなものばかり。書店をのぞけば様々な論客がデータを駆使して、てぇ〜へんだ、てぇ〜ヘンだと叫んでいる本が山積みになっています。
 それに、真っ向対決したのが、「環境問題はなぜウソがまかり通るのか1、2」ですね。最近、温暖化、温暖化と大騒ぎするのはおかしいといった本が、堂々と出てくるようになったのは、この本のおかげなのかもしれません。

 考えてみれば、昔は、環境問題なんて言うのはなくて、公害問題と言ってました。ラルフ・ネーダーなんて人の名を覚えたのは小学生の頃で、大企業と対決していく本を読んでかっこいいなぁと思ったり、「苦海浄土」を読んでやりきれなくなったり、それから、農薬の「沈黙の春」とかを経て、ダイオキシン?これは、いつの間にか声高に叫ばれなくなりましたな。そして、近頃、ゴアさんがノーベル賞をとりましたが、彼の家は、光熱費だけで何十万円も払う豪邸なんだとか。これはまさに、「不都合な真実」ですね。

 とまぁ、色んな本が出ていますが、一つ紹介したいのが、「環境問題はイメージでは解決しない」という本。著者は田中隆文氏。何を隠そう、学生時代からお世話になっている、私よりちょいと先輩の初めての著作なのです。
 本の中身は、この手のものとしては少々毛色が変わっています。環境問題を扱ってはいますが、他の本と異なり読み終わった後に少しばかり教養が身についた気にさせてくれます。私にとっては、こういうアプローチの仕方もあるんだと結構目からウロコでした。

 あと、つい最近読んだものでは、池田晴彦と養老孟司の「ほんとうの環境問題」という本。まぁ、この二人が関わっているのだから面白くないはずがないよね。
 2007.1のAREA誌上で、養老センセが「早く石油を使い切れ!」と叫んだ記事をコピーして持ってますが、今回もお二人で吼えてますよぉ。
 本の構成は、それぞれがまず言いたいことを述べて、その後、対談を収録するというスタイルです。中身を書くとネタバレになってしまうのでまずいですが、「石油のおかげで木が残った」とか「アメリカがバイオ燃料にご執心なのは、食糧自給率が100%を超えているから」そして、「世界が京都議定書のとおり炭素ガスを押さえたって、全体でせいぜい2%減るだけ。そんなことに日本は1兆円もかけている。」などという環境ネタから、食糧自給率40%の日本が、実は食べ物全体の3割程度は食べ残しとして捨てているという現状を憂いたり、いずれ世界の人口の半分は中国人とインド人になってしまうかもという話から、それなら人口増加をおさえるのに、全員に携帯電話をもたせよう、などいう興味深い文化論?にまで発展します。

 正直言って京都議定書の話を聞いたとき、なんでこんなに省エネが進んでいる日本が6%も削減しなければならないのかと私も思いました。本来ならば、人間一人当たり出しても良い炭素ガスの量?を話し合いで決定し、それに人口数を掛けてその国が出しても良い炭素ガスを計算するのが本来なのではないのでしょうか。

 環境問題を各論的に、ただ環境問題とのみ捉えているのは日本だけで、これを経済問題、政治問題ととらえているEU等の術中に、まんまとはまってしまったという評価は、あながち的外れな指摘ではないと思います。大丈夫ですかねえ。洞爺湖サミット。おかしな約束をまたしなければ良いけど。

 日本人は効率化を求める余り総論的な考え方ができなくなったと嘆くのは、大林宣彦の思いがつづられた「なぜ若者は老人に席をゆずらなくなったか」という本です。
 各論を論じなければ、効率化することはできないとのこと。ただ、そうなると全体が見えないんですね。

 廃油で製品化されているのスーパーのレジ袋を有料化して、エコだエコだと言っている人が、大型ジェットで、しょっちゅう海外旅行をするのは、どう考えたって滑稽でしょ?何かがずれているような気がしてならないのですよ。

 儂は何にも贅沢は言わん。ただ、使い道が無限大のレジ袋だけは無料にしてくれよぉ〜というお爺ちゃんがいてもいいじゃないかと思うのです。

 いつの間にこんな余裕のない国になってしまったんですかね。のんびり生きようと思えば、やってやれないことないのに。なにも世界の一流国になる必要などないですよ。宮沢賢治の理想どおりに生きていけませんかねえ。

 ところで、今年は「となりのトトロ」が上映されて20年になるそうです。そういえば、あの映画のキャッチフレーズは、「忘れ物を届けにきました」でした。「忘れ物」なら届けてくれるかもしれませんが、失った物は戻ってきません。「忘れ物」として記憶の中に保管されているのうちに何とかしないと。。。。

(ねむり姫 49歳)