浮世の月にかかる雲なし

平成20年1月〜6月ネット上にて公表

 

   浮世の月に かかる雲なし

 新年早々、忠臣蔵の話というのも変ですが、この原稿を書いているのは、12月ということで、どうかご勘弁願いたいと思います。
 実は、私、「(講談調で読んでね)師走なかばの14日」と聞けば、「行くは、本所松坂町〜!」と答える、忠臣蔵フリークなのですよ。

 おそらくきっかけになったのは、親父が大好きだった三波春夫の「俵星玄蕃」。あの「雪を蹴立てて、サク!、サク!、サク、サク、サク、サク」「先生!」「おー、蕎麦屋か〜」というアレですよ。(といっても、聴いたことのない人は、わかんないよね)
 そんなこともあって、高輪の泉岳寺も、播州赤穂の赤穂城址(大石神社)も訪ねたことがあります。どちらかというと、泉岳寺の方が賑やかで、大石神社はどこか深閑としていました。

 ところで昨年(2007年)は、森村誠一の「忠臣蔵」が徳間書店で文庫になり、前々から読みたいと思っていた、長谷川一夫主演の伝説的大河ドラマの原作である、大佛次郎の「赤穂浪士」も新潮文庫で復刻されました。また、井沢元彦の「逆説の日本史」も、ちょうど綱吉の時代が刊行され、その論の中で引用されている野口武彦の「忠臣蔵」も、ちくま学術文庫で再出版されました。

 ということで、この原稿を書いている現段階では、野口武彦はまだ手にしてませんが、立て続けに忠臣蔵関係の本を読ませていただきました。

 大佛・忠臣蔵に、長谷川一夫のあの名セリフ「おのおのがた…」が出てこなかったのは、ちょっと拍子抜けだったけど、架空の登場人物が絡む人物描写がとても面白く、森村・忠臣蔵には、決定版を書こうという作者の気迫と熱意を感じました。
 一方、ファンとしては、忠臣蔵という物語がフィクションの塊であることは承知の上で、今さら井沢氏に指摘されるほどのこともないのですが、彼の言う「赤穂事件が明治維新を生んだ」という論の展開は、なるほどと思わせる流石なものでした。ここでその内容を書いてしまうと、ネタばれになってしまいますのでやめますが、彼らしい、明解で、ストレートな内容は、いつもながら目から鱗が落ちる感がします。

 ただ、赤穂側には死者がなく、吉良側の被害は甚大だったのは、彼らが討ち入りを想定しておらず、まったく無防備だった為というのは、ちょっと?です。世間一般の民衆も、公儀も、ひょっとしたらと思っていたからこそ、討ち入り後の処置があのようになったと考えたほうが自然のような気がします。それに、47人のいわばテロ行為をまったく察知していなかったとしたら、それはそれで問題ではないでしょうか。

 さて、忠臣蔵は、もともとは浄瑠璃(文楽)で、歌舞伎、講談、浪曲、落語は勿論、これまで数え切れないくらい小説や、映画、テレビでドラマ化されています。ここで私が感心するのは、よくもまぁ、これだけ沢山の創作エピソードを作り上げたものだということです。おそらく日本人が好きな義理と人情の機微を、色々な作り手が300年かかって、練りに練り上げ、付け足したりカットしたりした結果が、今、残っているものだと思うのです。

 ところが、ファンなら誰もが知っているエピソードの全てを網羅した作品って、あるようでないんですね。討ち入り直前だけでも、色々ありますよ。
 たとえば、日野家用人との、手に汗握る勧進帳ばりの大石東下り、あとは、あまりに有名な「赤垣(埴)玄蔵・徳利の別れ」や、涙なしでは語れない「南部坂・雪の別れ」、そして、討ち入りの前日、すす竹売りに変装した大高源五(実際に俳号を持つ俳人)と芭蕉の弟子でもある宝井其角が両国橋の上で偶然出会い、「年の瀬や 水の流れと人の身は」と読みかけた其角に対し、「あしたまたるる その宝」と答えたという話にいたっては、お見事というほかありません。
 でも、今書いたこれらのエピソードは、前述の大佛・忠臣蔵にも森村・忠臣蔵にも出てこないのです。
 新たな創作はなくてよいから、スタンダードエピソードオンリーだけど、その全てを網羅したような作品は、ないものでしょうか。そりゃ確かに、とんでもない長編大作になるのは確実ですが。

 え?自分で書けって?そうですよねえ。オリジナル内容なしで、エピソードを繋げるだけならさほど創作力はいらないし、これは退職後のライフワークにでもしましょうかね。
 いずれにせよ、内蔵助が、討ち入り直後に泉岳寺で読んだとも、切腹前に読んだ辞世の句とも言われるのが、

  あら楽や 思ははるる身は捨つる 浮世の月にかかる雲なし

ということで、私も、死ぬ前に「かかる雲なし」なんて言える一生を送りたいと、新たな年の初めに思うのでありました。

(ねむり姫 49歳)