新世紀の初めに
平成13年1月〜2月ネット上にて公表
21世紀がやって来ました。
「2001年宇宙の旅」の年ですよ。なんだか嘘のような気がします。
鉄腕アトムやスーパージェッターで想像していた、あの憧れの?世界にいるんですよね。
振り返ってみれば、激動の20世紀とか、戦争の世紀だったとか言われる前世紀。勿論、私には戦争体験はありませんが、その激動の100年間の内、41%が私の人生だったということになります。
生まれた頃は、家にテレビは勿論、電話も冷蔵庫もありませんでした。給食では脱脂粉乳を時々味わった世代です。それに比べると、今は、ずいぶん便利で快適な生活をしていると思います。
よく言われることですが、前世紀は、とにかく全速力で、社会全体が突っ走ってきた時代でした。今、その軋轢がそこかしこに生じてきていることは否めません。
新しい世紀は、とにかくじっくりと腰を据えて、周りを眺めながら、のんびりマイペースで、他人は他人、己は己って感じで余裕を持って生きて行きたいと思いますが、そんなわけにもいかないんでしょうね。
思いがけない偶然の発見をする能力なんかのことをserendipityと言います。その語源である「セイロンの話」によれば、基礎的知識を前提にした上で、よほど余裕を持っていないと発揮できない能力のようです。この面白い「セイロンの話」については、次回のコラムで書くとして、今回は、世紀末に公開された、山田洋次監督「学校W−十五才」の中に出てきた詩を紹介します。
草原のど真ん中の一本道を
あてもなく浪人が歩いている
ほとんどの奴が馬に乗っても
浪人は歩いて草原を突っ切る
早く着くことなんか目的じゃないんだ
雲より遅くてじゅうぶんさ
この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ
葉っぱに残る朝露
流れる雲
小鳥の小さなつぶやきを聞きのがしたくない
だから浪人は立ち止まる
そしてまた歩きはじめる
こんな風に生きていけたらいいですよね。私の21世紀のテーマってところでしょうか。
次回は、まじめにserendipityについて書こうと思います。
(ねむり姫41歳)