2007年 年男のつぶやき

平成19年1月〜6月ネット上にて公表

 

 平成19年、西暦2007年は、不肖私、年男となります。
 もう一つ先の年男となるときは、なんと還暦になるんですね。実感わかないなぁ。

 このHPの「既公表抜粋」の中には、「雑誌林道 平成7年1月号」に投稿した文章を掲載していまして、一つ前の年男であった36歳の頃、何を考えていたかを振り返ることができます。
 今読み返してみると、あの頃は、まだ某かの意欲が感じられます。それに比べると、う〜ん、やっぱり今は老けたかな。ただ、今でも50歳を一つの区切りと考えていることに、かわりはありません。親父の死んだ歳が65歳ですから、女房も子供もいない私が、それなりに、むりやりでも納得ずくの人生が送れるようにするには、どうしたらよいかを、ただいま模索中といったところでしょうか。

 年齢の話だと、最近知ったのですが、第二次世界大戦の終結した時の昭和天皇の年齢は、44歳だったとか。大変な時代をよくその歳で乗りきられたものだと思います。昭和天皇とマッカーサーのツーショット写真がありますよね。当時の日本人に敗戦を改めて強く印象づけたというあの写真は、マッカーサー65歳、昭和天皇44歳の時の写真なのだそうです。それを知った上で眺めると、何かしら感慨深いものがあります。

 また、あの戦後の混乱期、未だに解明されていないミステリアスなお亡くなり方をした初代国有鉄道公社総裁の下山定則氏は、当時49歳。戦後初めての大量首切り10万人を発表した人が、私とほとんど変わらない年齢というのも、すごいもんです。今、あのような仕事を引き受ける気概を持った役人も、政治家もいないですよね。それだけ自分個人のことよりも、全体のことを深く考える人など存在しないのかもしれません。

 とまぁ、唐突に二人の方の年齢を話題に出したのですが、これは最近読んだ本、ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」と、柴田哲孝の「下山事件 最後の証言」に原因があります。

 「敗北を・・・」の方は、ずいぶん前に出版されていて、読みたい読みたいと思いつつそのままになっていたものなのですが、最近、増補版が出ていることを知りまして、早速取り寄せて読んでみたものです。いやぁこれは流石に名著と言われるだけのことはあります。翻訳物ですが、そんなことは一切感じさせないものに仕上がってます。まず、タイトルが良いでしょ。原題の直訳のようですが、あの混乱と混迷の時代、敗北を乗り越えてとか、敗北に打ち勝って、というより、まさしく「抱きしめて」といった感じだったんですね。あくまでも、今から振り返って考えるとの話ですが。
 内容的には、占領下の状況が詳細に検証されていて、戦後の復興を成し遂げ構築してきた今の日本のあらゆるシステムを考える上で、大変貴重な資料を提示するものです。

 最近、改憲問題がよく話題になりますが、当時の制定のいきさつなども詳しく書かれています。確かに、押しつけだろうがなんだろうが、「敗北し戦火に破壊し尽くされた国において、希望と理想指し示す灯台の光のような大きな魅力があった。」のは、事実なんでしょうね。

 現在の憲法は、現実にそぐわない箇所も多々あり、これを改正しようとする考え方に頭から反対するわけではありませんが、太田光・中沢新一の「憲法九条を世界遺産に」を読むまでもなく、世界中の人から、馬鹿だ、タワケだ、どっかおかしいんじゃないか?と言われようとも、個人的には九条は大切にしたいなぁと思います。それに、あの頑張らないお医者さんの鎌田實が文を書き、木内達朗が絵を書いた「この国が好き」なんかを読むと、やっぱり「ぼくたちの国は、すごいんだ。」と思わなくもないのです。
 また、永六輔が言っているように、九九条を読むと、憲法を守る義務のあるのは、天皇、国務大臣、国会議員、裁判官、公務員であり、国民にその義務はないのも事実。となれば、議員のセンセ達が議員としての立場で、改憲を議論することは、どこかヘンな気がします。とはいっても、国政に携わっている人が、何かことがおこったら、みんなで死にましょうとは、言えませんしね。難しい問題だと思います。

 「下山事件 最後の証言」の方は、書店の平積みの中で見つけ、帯にあった「日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会賞W受賞、私の祖父は実行犯なのか?」との文字に魅せられて、思わず手にとって読んでみたものです。

 三鷹事件、松川事件とならぶ、この下山事件は、松本清張を始め、ものすごく多くの関連書籍が出版されてますし、今までに何回も映画化されていますが、おそらく多分この本が一番新しいんじゃないかなぁ。だから、この本の中では、過去に出版されたものの中で、不可解な点とされていたことが解明されていたり、イニシャルのみで登場した人が実名で紹介されたりしています。
 特に何度も作品中にででくるのが、清張の「日本の黒い霧」、森達也の「下山ケース」、矢田喜美夫の「謀殺 下山事件」です。日本の黒い霧は、以前読んだはずと、自宅の棚を探すも見つからなかったので読み返していませんが、後の2冊は文庫になっていることもあり、取り寄せて読んでみました。

 ご存じのとおり、なんせこれは占領下での特異な事件であり、発生当初から現在に至るまで、自殺、他殺の喧々囂々の議論の末、いまだ結論が出ていないものです。そして、解明に躍起になり、事件が寝ても覚めても頭から離れなくなることを、下山ウィルスに感染したと表現するほど、確かに大変興味深い謎解きテーマではあります。しかし、その謎解きを離れても、事件の流れとその後を眺めるだけで、戦後日本の裏の歴史を垣間見ることができます。

 ロッキード事件で、初めて我々一般人が名前を知った大物フィクサーが、すでに小物として暗躍していたり、将来、歴代首相に名を連ねる人が、摩訶不思議な行動をしていたり。。。このような裏の歴史は「敗北を・・・」を読んでもわからないものです。でも、これは、私が生まれるほんの少し前の、まぎれもない実話なのですから、ちょっと薄ら寒くなります。それにくらべれば、よい時代に生きていると思います。いや、今でも単に知らないだけなのかもしれませんが・・・。

 年齢の話から、ずいぶん脱線してしまいました。
 ところで、平成18年を表す漢字は、「命」に決まったとか。皇室に待望の命が誕生するということもありましたが、心痛める事件も沢山ありましたし、概して豊作ぞろいの年だった映画界でも、命をテーマにした作品が数多く公開されました。
 命は、大切に扱えば一生もつと玉川おスミ師匠もおっしゃってます。(過去のコラムでも使いましたね。この台詞) 私の一生があと何年あるかは、神のみぞ知るですが、「おかげさまで」の精神は忘れずにいたいと、年男になるに際し、改めてここに宣言しておきましょう。

(ねむり姫 48歳 年男)