タイトル今回のコラム

本文へ飛ぶ(ココをクリック!)



 学生時代からやりたいことばかりで、アルバイトをする暇がありませんでした。このため、もっぱら、新聞、雑誌の投稿や、テレビ、ラジオのモニターをして、小遣い銭を稼いでました。
 しかし、投稿した文章は、活字になる前に編集者の校正が入ります。様々な文献を引っ張り、何日も悩んだ末絞り出したフレーズが、あっさり、ありきたりの表現に書き換えられることも、しばしばありました。
 そんなときは、「あ〜、この編集者は、こういう表現方法を知らないんだな。」と毒づいたものです。

 そもそも、今までのメディアは、採用されなければ、人の目に付きません。ま、自費出版という手もありますが…。
 しかし、インターネットの時代になり、ちっぽけな個人から、世界に向かって、簡単に、思いを発信できる時代になりました。これは、とんでもなく、すごいことだと思います。

 ご感想などお待ちしております。



ライン枝



 「おおきな木」を読みました


 シェル・シルヴァスタイン著、村上春樹訳、「おおきな木」を読みました。かつて1976年に本田錦一郎訳で出版されたものを、村上春樹氏が新訳したとのこと。

 この本を知るきっかけは、Eテレ「100分de名著」の「絵本スペシャル」で紹介されたことです。その時の講師は、評論家であり随筆家であり詩人でもある若松英輔氏でありました。この本の原題は「The Giving Tree」与える木です。若松氏は、キリスト教の世界観が反映されていると言います。でも初訳の時に「おおきな木」と訳され、そのタイトルで長く親しまれてきたとのこと。ただ、 この消えてしまった「Giving」が大きな意味を持っていると言います。文字が少ない絵本では、文化の異なる国の本を訳するのは難しいですね。

 「おおきな木」は、ただただ少年に与え続けます。それは無償の愛です。少年が喜ぶことこそが、おおきな木の幸せでした。でも、葉っぱで冠をつくって森の王様だと喜んでいた少年も、時が経てば大きくなります。お金が欲しい、嫁さんも欲しいし子供も欲しい、それには家がいる。おおきな木はリンゴを与え、枝を与えました。少年が大きくなっても木は、「ぼうや」と呼びかけます。しばらく少年が姿を見せなくとも、きっと喜んでいるんだろうと、おおきな木は幸せを感じていました。でも少年は生活にくたびれて戻ってきます。どこか遠くへ運んでくれる船がほしいと木にねだります。おおきな木は自分を切り倒して船を作りなさいと、応えます。
 ここではじめて、「これで木はしあわせに。。なれませんよね。」との文字が真っ白なページに書かれます。
 それからまた長い時を経て、歳をとった少年はまた再びおおきな木の元に戻ってきます。生活に人生にくたびれた姿です。でもおおきな木には少年に与えるものは、もう何もありません。切り株があるだけ。それでも、ここに座ってお休みなさいと優しく語りかけます。少年はその切り株に座ります。それで、おおきな木は幸せでした。と物語は終わります。

 村上春樹氏はあとかぎで、この物語で何を感じるかはあなたの自由。それをあえて言葉にする必要もありません。と書いています。

 本当の幸せとは何なのか?

 絵本は親が子供に読み聞かせをしたりして、基本的には子供向けのものなのかもしれません。しかし、大人が読んでも色々と考えさせる深遠なものがあります。この本は、おそらく生きていく上で、様々な経験を経てきた者でしか味わえない何かがあります。
 私は普段電子ブックで本を読んでいますが、絵本というものも時々購入します。勿論紙の本ですよ。最近読んだ絵本の中では、これがピカイチでありました。もし興味がわいたならば、この味わい深い世界を是非手に取って味わって頂きたいと思います。

アイコン戻る