タイトル今回のコラム

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 学生時代からやりたいことばかりで、アルバイトをする暇がありませんでした。このため、もっぱら、新聞、雑誌の投稿や、テレビ、ラジオのモニターをして、小遣い銭を稼いでました。
 しかし、投稿した文章は、活字になる前に編集者の校正が入ります。様々な文献を引っ張り、何日も悩んだ末絞り出したフレーズが、あっさり、ありきたりの表現に書き換えられることも、しばしばありました。
 そんなときは、「あ〜、この編集者は、こういう表現方法を知らないんだな。」と毒づいたものです。

 そもそも、今までのメディアは、採用されなければ、人の目に付きません。ま、自費出版という手もありますが…。
 しかし、インターネットの時代になり、ちっぽけな個人から、世界に向かって、簡単に、思いを発信できる時代になりました。これは、とんでもなく、すごいことだと思います。

 ご感想などお待ちしております。



ライン枝



 行きつけの店。美味しい料理と温か〜い会話

  今年96歳となるお袋さんは、昨年の令和6年、春分の日に大腿骨を骨折して以来、市民病院で手術、リハビリする病院に転院してリハビリ、そして結局、同年7月、特別養護老人ホームに入所となりました。

 そもそも骨折する前から食が細かったので、以前から週に一度は昼飯の際、外食に連れ出しておりました。その内の一つに、市役所近くにある蕎麦うどんの店があります。新聞にチラシが入ってきたことをきっかけに通い出したのですが、私が現役の頃から、お袋さんを連れて昼飯を食べに行ってました。
 麺類は勿論、天ぷらや茶碗蒸しの味が性に合っていたのか、お袋さんも私も、大のお気に入りでありました。また、アンケートハガキを出すと、ほぼ100%の割合で割引券が5枚送られてくるし、毎月一度、「麺の日デー」なるものがあって、ポイントが2倍、そして特別メニューとして、蕎麦食べ放題というものがあって、その日は昼飯をそこで食べるのが、もう何年になるかなぁ、毎月一度の恒例行事となっていました。
 毎回混み合うので、開店15分前には店に着くようにでかけており、自然と店員さんに顔を覚えられ、お袋さんのお気に入りの席へ、何も言わなくても誘導されるようになっておりました。

 そして令和6年、お袋さんが入院するというアクシデントが発生し、もう二人では行くことはできなくなった最初の麺の日デーに、一人で出かけました。
 当然のように「あれ、一人?お母さんはどうしたの?」と聞かれますよね。それでひとしきり経緯の説明をしたものです。

 さて一方、お袋さんは2ヶ月あまりリハビリ病院でお世話になっていたわけですが、当時その病院の面会は、1日1回15分、しかも同じフロアーに上がる人数制限もしておりました。私は毎日面会に行きましたが、やはり受付の始まる15分前には病院に出向いておりました。まぁ当然受付の方とも仲良くなりますよね。

 そんなある月の麺の日デーのことです。私は、昼食を例の蕎麦屋さんで食べて、それから面会に行きました。
 受付が始まるまで本を読みながら待っていたら、受付のオジサンに話しかけられました。
 「〇〇さん(私の名前です)、今日のお昼、何を食べたか当ててみましょうか?」と問われて、「え?え〜!あのお店にいました?」と聞き返すと、ニコっと笑って「いやいや今その店から、クレジットカードを忘れていかれた、と電話がありました。」 ありゃりゃ、財布の中をみるとレシートやポイントカードは入っているけど、クレジットカードは確かにない!支払の時におしゃべりに夢中になっていたからですね。
 それにしても、料理を注文するときに、おそらく「〇〇病院でリハビリ入院しているお袋の面会に、これから行くんです。」とでも話をしたのでしょう。私はあまり覚えていませんけど。。。。お店の人は、わざわざ病院の電話番号を調べて連絡してくれたんですね。面会を終えてからすぐ飛んで行きましたよ。店の人は「こちらも気がつかずに。。。」と言われましたけど、恐縮したのはむしろ私の方でありました。

 また、特養に入所してからも、お袋さんの刺激になるだろうと毎日面会に行き、1ヶ月に一度は半日外出をさせていました。その日は、枚方から妹も駆けつけてくれてます。
 そんなある月。どうしても妹の都合がつかず、半日外出が麺の日デーと重なりました。ありゃぁ、昼飯を食べには行けないなぁ、夕飯を食べに行こうかなと思ってましたが、昼食に出前を頼んだお寿司が思わぬ沢山残ってしまいましたので、その月は麺の日デーに出向くことができませんでした。

 1ヶ月の間に一度も行かないのもなぁと、なんのイベントもやっていない、普通の日に昼食を食べに行きました。
 そうしたらもう大変でありました。「〇〇さん、どうしちゃったの?みんな心配してたんだよ。」「体調崩したの?」「おかあさんに何かあった?」そんな感じで店員さん達から次々と声をかけられて吃驚しました。ありがたいことです。料理の味以上に、ほんわかした気持ちになりましたよ。

 この店以外にも、ラーメン屋やハンバーグ屋にお袋さんをよく連れていった店があります。そこでも顔見知りの店員さんから「おかあさん元気?」と声をかけられます。

 私は今でも毎日特養に面会しに行ってます。特養の職員さんは皆さん研究熱心で色々工夫をし、一生懸命お世話してくださってます。様々なセンサーが付いたベッドで寝ています。私がアイロンでくっつけた名札がとれかったら、糸でくくりつけてもくれます。また、とても季節の行事を大切にしていて、様々なイベントを企画してくれる施設です。でも、基本的には、食事の世話やトイレの世話、安心な睡眠が中心です。ま、これが重要ですけどね。

 私はお袋さんに面会している1時間の間、少々の運動と5分から10分間、脚のマッサージをしています。ただ、まだ自分の名前の名前は何とか言えますが、私の名前は時々おぼつきません。毎日来る変なオジサンと思っているかもね。
 脳の萎縮が進みつつあるお袋さんはあまりしゃべりませんし、運動も進んでやろうとはしません。老いるということは、こういうことなのでしょうか。

 お袋さんは昭和5年生まれです。最も大切な、あの輝くような?青春時代を戦争に奪われた世代です。そのためにアイデンティティーが熟成されることなく歳をとってしまったのかもしれません。自分は何をしている時が一番楽しいのか、何をすることが一番好きなのか、何に一番感動するのか、おそらく考える暇もなく90余年を生きていたのでしょう。

 今や何の楽しみもなく、感動することも感激することもなく日々を過ごしてます。毎日少しずつ壊れていくようなお袋さんを見ていると、こんな人生でいいのかな?と虚しくなります。一方、退職後、ずっとお袋さんの世話をしている私も今年66歳。オヤジが亡くなった歳を超えます。そろそろ私の人生も終焉が近くなりました。

 そんなおり、社交辞令かもしれませんけど、ちょっとした言葉をかけてもらうと、それだけで癒されるものです。ヒトは言葉というか、会話を交わすことで生きている動物なんだなぁと、つくづく思います。
 タブレット注文、配膳ロボット、セルフレジでは、こうはいきません。何か大切なものを失いつつあるのかもしれませんね。

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